この現実と呼ばれる世界
世界を定義する事ほど曖昧なものはない

何故なら「世界」というものを捉える目の数があまりにも多すぎるからだ

ある者は世界を自分の箱庭と捉え、その手入れを自らの責務と定義する

またある者は世界を舞台と捉え、自分はその演劇の登場人物と定義する

かと思えば別の者は世界を手段と捉え、利己的存在こそ真実と定義する


何が正しくてどれが本当なのか

君の揺れ動く心は、しかし何も語ってはくれない

でも怯えないで
世界を知ろうとする心はいつも積極的でなければならず、そこで縮こまっていては何も始まらない

そう、誰かが肩をたたくまでなんてもうやめてすぐにでもそこを飛び出そう

何事も最初の"一回転"が最も大きな力を必要とするだけなのだから

すると君の目にもようやく世界の様相が映ってくるようになる
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