画面に映える青と白。それを映す虚ろな眼。今は……六時五十分。まだ時間には早い。
そういえば腹が減った。今朝から何も食べていない。とりあえずそこらにあったパスタ一本を口へ誘い寂しさを満たす。うん、何だかんだ言ってもこの硬さは病みつきになるな。
六時五十二分。そろそろ行くか。流れる動作に流れる手つき。よどみなくPCの電源を切るその様はまるであらかじめプログラムで命令されていたかのようなある意味芸術の域にまで達している。今度ビデオに録画してシネフォンダシオンにでも出品してみるか。

 俺はあたりに散乱している自分の衣服を身にまといつつ出かける準備をする。
テレビの電源は…切った、ビデオは…切った、携帯はちゃんと持ってる、あ、そうそう家の電気を消さなければ。ついでにメガネも忘れてた。
 
口で一本パスタを弄びながら玄関へ出る。換気扇も止めて、いざ外へ。おっと鍵かけるのも忘れるところだった。まあ忘れたところで俺の部屋にはこれといって盗る物なんてないけどな。あえていうなら小銭で五キロ鉄アレイに昇格したマイ貯金箱ぐらいか。
 
俺はそんな着地点のない思考を脳内で繰り広げつつ明かりを失い始めた空の下自転車を走らす。自転車の着地点はある。友達の家だ。

今日は仲間内で集まって一緒に晩飯を食いに行く約束をしていた。何か特別な理由があるわけでもない。ただ食いに行くだけだ。それ自体はとても嬉しい事なんだけど、俺個人としてはどうにも苦い顔をせざるをえない。そう、常に空と隣り合わせの貧乏学生にとってはガイショクなどナイアガラの滝に飛び込むのと同じ覚悟がいる。いや言い過ぎた。そうだなぁ……例えば中途半端にしかも極微妙に深く切り残した足の爪に対して、痛みをとるか傷つく自尊心をとるかぐらいの覚悟と決断を要する。うん、これだ。

 そうこう考えてるうちに着地点に到着。いやもういい加減そう表現する事もないんだけど。

 マンションのインターフォンを鳴らし玄関のロックを開けてもらう。階段を上り403のプレートをみつける。ノック。どうやら俺以外の面子は揃ってるらしい。賑やかな声が聞こえる。

 ドアを開け俺を出迎えてくれたのは佐々木。佐々木琢磨。おっとりしているというよりかは今まで自分を否定された事がない環境で生きてきたようなどことなく世間知らずな根性をしている。それが一番体現されているのが喋り方だ。そのなんともローテンポな口調にとりあえず仲間のイライラを与えてくれるところをみるとそれはもうある種の魔法といってもいいだろう。まあそんな事はどうでもよくとりあえず俺も中へと入れてもらう。やっぱし皆揃っていた。

 面子は五人。さっきの佐々木と中村、田川に仙田そして俺。一同全員揃ったという事でこれからの行き先を検討し始める。
「なぁ、やっぱ俺ら貧乏大学生には財布と胃袋に優しい鶴亀食堂に行かへん?」
関西出身の田川だ。確かにその手は俺ら金欠学生にとって一番妥当な手段だ。普段学内で利用している食堂も財布に優しい&今の時間帯も開いているという点では鶴亀にもひけを取らないが難点は質だ。この一点で学食は鶴亀に絶えず劣っている。故に安い、多い、利用しやすい、の三利点を兼ね備えている鶴亀食堂は我々学生のみならず近所の会社に勤めている哀愁戦士までにも聖地としてあがめられている次第だ。だからこそ俺は一票を投じたい。投じたいのだがしかしここで一つネックとなる事がある。距離だ。今俺達のいる所から聖地までゆうに一時間はかかる。そう、こここそが鶴亀食堂の聖地と神秘化させしめる所以なのだ。何故に市内に店を構えなかったのか。そうでなくとも支店ぐらいだしてくれてもいいと思うんだけど……。

 俺がそんな鶴亀食堂の光と影を熟考しているうちに話が勝手に進んでいた。
「……だからここは近くのガンダーラにしよう。あそこなら美味いし近くにあるからさぁ」
「あほ!ガンダーラつったらバリ値段ありえんところやん!そこ行くんならやっぱちょっと遠くても鶴亀行こうぜ」
 中村と田川の会話に千田が割り込む。
「俺は別にどこでもいいけど。鶴亀でもガンダーラでも食えりゃいいし」
基本的にこいつの意見は生産性がない。ゆえに全員はデフォルトで無視。そうかガンダーラという手もあるか……まあ名前の如くインド料理専門店なのだがどうもその日本人発想なそれに比例するかのように胡散臭い。中村は美味いと言ったが正直な所俺はそれには賛同しかねる。「肥える」という言葉すら忘れたこの俺の舌でさえ疑問符が浮かぶその味に今は出会いたくない。
「あのさーもう、いいやん。俺、もう腹減って倒れそうなんやぁー。それに今日は朝から大して食ってへんし。正直何処でもええわ。そんなに今こだわらんでももう大学の学食でいいんやない?そのほうが安つくし今ならまだ時間も間に合うしやぁ…その、だから……」

 三匹の飢えた狼が佐々木に向けて殺意という名の眼光を光らす。黙る佐々木。話はまた振り出しに戻った。





 夜の金木犀が甘い思い出を誘う。俺達は今市外にある鶴亀食堂へと向かっている最中だ。電車賃どころかバス賃すら惜しい男五人はただひたすらチャリをこいでいた。お互い昨日のバラエティ番組について思い思いに感想を述べていたが、さっきから約二名の声が聞こえない。中村と佐々木だ。佐々木はつい先ほど己のうかつさが招いた恐怖を味わっているのでその理由は察せられるが中村については理由がよくわからない。腹がすきすぎて気分が悪いような感じでもないし、あの後の話し合いで自分の意見がことごとく否定された事に起因する不機嫌でもなさそうだ。ただ、何となくその顔が強ばっている。眉間に眉をしかめ、チャリをこぐ動作も妙に慎重だ。まるで何かを恐れているかのように一切の注意を周りに払っている。何かおかしい。そういえばまた最近「闇の者」の動きも活発になっている。今朝のニュースでもみたし、アイツからも聞いた。そんな事もあって俺は念のため軽く探りを入れることにした。
「なーナッカァ(中村のあだ名だ)さっきから黙ってばっかでどうしたん?まさかまださっきの事引きずってんの?てかさぁガンダーラ行きたかったのにそれが却下されたからってそこまで落ち込まんでも…」
言いながら最後尾へと速度を落としていく。
「違う」
「え?」
中村の搾り出すような声が俺の脳裏に届く。まさか。その思いはあやふやながらも俺のある懸念に繋がっていく。
「何が、違うん?」
もしやつけこまれたのか?だがもしそうだとしても今ならまだ切り離せる。闇に自らの意思で魂を売った者は融合初期段階ですでに分離はほぼ不可能。何故なら自ら望んで受け入れる、心の準備がたいていの場合は整っているからだ。でも無理やり心の隙につけこまれたのならその準備が整っていない、あるいは無いんだから定着にはある程度の期間を要する。その期間中なら、まあ期間の長さは自らの正義や信条といった要素にも左右されるが、分離の可能性はある。しかもそれがまだ浅ければ浅いほど容易になる。

 言葉のみで解決できるかどうか、即座に俺はまずステップ1から試みる事にした。
「何が違うの?」
「いやさっきの話の事じゃないんや。その、俺さっきからずっと我慢してたんやけどもうダメかもしれん……。もう我慢できん……」
 ステップ1中止。闇の者融合分離シークエンス終了。つまりはそういう事だったのだ。

 俺の腑抜けた顔を見たかはわからないが中村は突如チャリを急停止。体内不要物放射シークエンスに入る。目標は……やめよう、こんな話。

 一応俺が前方の田川達に一時停止の旨を伝える。一同その理由を把握し嘆息吐いて納得。
友よ……そんな大事な事は家を出る前に済ませておけよ。

 皆が冷たく見守る中一人恍惚の表情で佇む男が闇夜に一筋のアーチを描いた。


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