落ちて行く 落ちて行く 


われともに みな うつむきなげきて


落ちて行く 落ちて行く


だれかもが みな うけとめきれずに


落ちて行く 落ちて行く


遠い日の出来事









あさ、だいぶ日が照った夜明け、目が覚めた。


泣いていたような切ない感触が僕を襲う。胸が緩く苦しい。


どんな夢を観たんだろう。まだ甘い波に身を委ねているこの状態なら、それは思い出せそうだ。


でも思い出せない。意識が支配してくるにつれ無意識が遠のいていく。夢に浸かる時間はもう終った。今はそこからあがらなければいけない。じゃないと、体が慣れてしまって現実の冷たさに耐え切れなくなってしまう。そうなったらもう永遠にあがることができなくなってしまう。


俺は仕方なくプールからプールサイドへとあがる。習慣的な倦怠感。もうすっかりふやけてしまっている俺の体はまた戻るよう脳に催促をかける。「ここはサムイからまだ浸かろうよ。そしたらまた自分の好きな世界で、自由に思い描ける世界でアソベルヨ。ねえ、ソウシヨウヨ」さっきからそう言ってうるさい。でもそれを俺の頭は断固拒否。そしてコーヒーメイカー……は無いからポットのお湯とコーヒーパックでインスタントコーヒーを作る。ああ、眠い。


 午前七時三十六分。今日はいつもより大分早い。奇跡に近いなと頭で驚嘆しつつ、まだ寝ている目を冷水で起こす。ああ、その前にパンをセットしなければ。


 覚醒の儀式を一通り済ませた後、俺はようやく今日のテレビをつける。いつも寝る間際に同じチャンネルにセットしてから寝るから朝テレビをつけたらいつも同じニュース番組。……いや今日はもう少し早い時間帯のニュースだ。ふむふむ、今日も一人闇の者に殺されたのか。


 朝の俺はとても機嫌が悪い。それは低血圧のせいではなく、むしろせっかくの心地良い夢から目覚めなければならないといったこの世の理不尽さに怒りを覚えているからである。いや、本当に。


 「……さて次の話題です。先日行われた第23回全国高校音楽コンクールでここ神戸市の私立波止場第二高校が見事優勝を獲得しました。優勝した際の演奏曲はモーツァルトの『アイネ・クライネ・ナハト・ムジッグ』で……」


 もう次の話題に移っている。闇の者による連続殺人遺棄事件。その犯行は至極通り魔的で、いつ誰がそのターゲットになってもおかしくない。しかも奇妙な事に事件が起こった初期の頃はちゃんとその墓まで作られていたというなんとも不可思議なもので……ってのが今の所のマスコミ連中その他もろもろの共通見解。もちろん犯人は未だ捕まっていないからそれに余計拍車がかかっているわけだ。まあ、闇の者による犯行ってのは死体がときどき完全に消えていたという事からも推察されるように疑いの余地は無いだろう。


 しかしここで気になるのは墓を作ったりしてる事だ。普通闇に魅入られた輩は死者のために墓なんて作らない。ってか普通の殺人犯だって作る事はなかなか無い事なのに。


 それを考えると……ひょっとしたらこの犯人まだ年齢が浅いか、まだ良心の欠片でも持っているのか……。


 そこん所が今回の犯人特定の鍵となるでしょうな筋山さん――そうですな、ここがわかっただけでも非常に大きな展開がみられるでしょうな野杉さん――誰だよ野杉って。


 今日の俺はやっぱり変だ。朝早くに起きたと思えば、今さっきのようにしょーもない考えを朝っぱらから巡らすまでに至ったんだから、おかしいといえばおかしい。熱でもあるのかな?





 大学の終わりは早い。いや最後の講義まで取ってたら話はまた別だけど今日は午前で終わりだ。昼からは寝不足の分を取り戻す事にしますか。

 その提案に俺の脳の各野が賛成する。特に脳の深部に位置している辺縁系が殊更強くそれを要求している。いやいやまてまて。この後はまずあいつらと食堂で飯を食わにゃぁいけん。その後まで耐えろ。俺(と俺の脳)。


 比較的大きな講義室から足を進め、俺はいつも通るお決まりのコースで学食へと向かう。


 木々が自分をエスコートしてくれる感じがするからこの裏道は好きだ。この季節は葉も緑で一層気分が良い。清々しい。


 空気も良し、天気も良し、小動物達も良し。後はこの突然去来した不快な感情が無かったら完璧だ。いや完璧だったのに……。


 今回のは大分弱い。という事は遠くの所か、もう意識が無い状態か。ええい、くそ!後は飯食って寝るだけやったのに!


 俺は龍王の力を少量解放。そのまま自らの波をある程度まで抑えて急速跳躍、後飛行。不快が走った方向に体を進める。


 目指す場所が比較的近い事を祈る。もう前みたいに北海道まで飛びたくない。


落ちて行く 落ちて行く


「え?」


われともに みな うつむきなげきて


「なんやなんや?どこから聞こえて」


 落ちて行く 落ちて行く


「……くっ、急にめまいが……」


だれかもが みな うけとめきれずに


「アカン……平衡感覚が無くなってきた……」


落ちて行く 落ちて行く


「落ちる……」


遠い日の出来事。

 


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