――夢か・・・いやな夢を見た・・・――

全身にじわりと滲み出ている汗。手も足も顔も、どこも汗だらけだった。そしてそれと同時に夢から覚めた今もなお背筋を襲うヒヤッとした感触――正直、もういい加減この夢は見たくない。この夢を見ると日常の中でやっと薄れかけたあの悲劇を、あの友の死を、あの忌まわしき記憶を再び思い出してやまないからだ。


あの悲劇からはや十年――俺は俺なりに闇と戦ってきた。そう、ある一人の青年を追う形で。その青年は一人朝から深刻そうに黙りこんでいた。そうして無言のまま朝食を取り始めた。 彼は右手に持っていたフランスパンを大きく口に頬張り、食べた。 パンを食べながら青年は口元に自嘲ともとれる笑みを浮かべた。何のことは無い彼の癖の一つだ。とくにその悲劇が起こった後はその傾向がより強くなっていた。

 
シメのミルクを口に流し込むと彼は席を立ち外へと出かけていった――場所はうって変わって昼の市場。外界の絶望に満ちたそれとは対照的にここは活気に溢れていた。


一人の青年が市を巡る。店に香辛料らしきものを並べた血色の良いおばさんや、漁師姿でとりどりの魚を売っている褐色のおじさん。他にも新鮮み溢れる青物を取り揃えているこれもまたおばさんや、親子なのだろうか男二人で一生懸命客寄せをしている店もある。品物は・・・、トカゲやヘビらしき物を干した様な得体の知れないのが幾つか。あと、何かの目玉らしき物も瓶の中に浮いている・・・誰がこんな――いや失敬、この様な品を買うのだろうか?おおよそ見当もつかない。そしてそれは青年も同じだった。


 顔にいささか怪訝な表情を浮かべ、市を進んでいく。そして進めば進むほど普通の店の合間から不思議な、不気味なモノを売っている恐らく普通で無いであろう店≠ェ見受けられた。しかしながらどの店も皆笑顔や威勢の良い声で自慢の商品を売っていた。 そしてまた買う側、つまり客の方もそれに答えるかのように、あるいは負けじと声を張り品定めをする。ホントに活気に満ちた市場だ。――悲しいくらいに。


それも仕方の無いことだった。


世界が大いなる闇の進攻≠ノよりその大半が責め滅ぼされた今では、残された人々にはもはや絶望の色しか見えない。皆、静かにそして着実に迫りつつある死への恐怖に身を震わせている。――何故なら闇には慈悲も容赦も無い。ただ、己の欲する所にのみぞ突き動かされ、殺戮や強奪を繰り返す。そんな彼らに“今まで自分達が曲りなりとも平和とは言えなかったが、それでも何処か安心して暮らせていた世界”をのっとられたのだから、もうどうすることも出来なかったのだ。


無論、闇といえども力の強い弱いがあり、その弱い連中なら多少は抵抗も出来るのだが、ひとたび力の勝れる怪物が出てきてしまっては何の抵抗も意味を無くしてしまう。闇は民衆の恐れの対象にしか過ぎず、人々はただただ、身の幸運を祈るしか無かった――
  そして、そんな状況下ではいっぱしの食料を手にすることでさえ至難のわざとなっていたのだ。
一度外世界≠ヨ出ると、そこはもう闇の闊歩する世界。

国や町といった所にすんでいる能力者(そこに住む住民達は敬意を込めて彼らの事を賢者≠ニ呼んでいる)が光の力で結界を張り、辛うじて闇をけん制している内世界≠ニは違い、そこは絶えず闇の脅威が及んでくる。文字どおり自分の身は自分で護るしかない。

だから、本来ならこういった市場は、品物の入手が困難なためどうしても高額な値段で品を販売せねばならなく、それ故、購買側も極度に慎重になりある種のインフレ状態に陥る。


そうなってくると結果として全体の雰囲気がギスギスしたものになってしまうのだが、ここはそうでもないらしい。皆お互いに声を張り上げ一瞬一瞬のかけ引きを楽しんでいる。

いや、そうしてお互いに励ましあっているようにも見える。ともかくも、まだ闇に進攻されていない所ではこうした人々もまだいると言うわけだ。

 
青年は一通り市をめぐり終えると、酷くボロボロで、半分壊れかかっている建物≠ノ入って行った。「酒肥」と書かれた看板が目立っている。


「ヨウ、オツトメゴクロサン。ソノヨウスダト、ナニモカワッタコトハ、ナカッタミタイダナ」

バーのマスターらしき男が青年に話しかけた。その両手はグラスを拭いている。青年は、ああ、とだけ言って席に着いた。そしていつもの≠ニ言ってまた黙り込んだ。マスターらしき男もそれを承知していたのかそっと、いつもの、をそばに置いた。青年はそれをグッと飲み干すと、目に重い影を落とした。


「ここはまだ明日への希望を捨てていないから今の所は闇も入り込む隙間はない。だが、いつその隙間が広がらんとも分からない―――だから気は抜けない・・・」


手に力がこもっている。マスターらしき男は、


「マア、ソウリキムナ。ココハアンタノオカゲデミンナコウシテヤッテイケテイル。ソウ、アンタノオカゲダ。ダカラ、ゼッタイニ、ヤツラナンカニハイリコムスキナンカナイ。ダガ、ソノブンアンタニハクロウカケテシマッテイル。ダカラ、ミンナ、ココロカラモウシワケナクオモッテイルンダ。ソウシテ、アンタヲトテモシンライシテイル」


と言いながら、またそっと、いつもの、を青年の側に置いた。 ありがとう、と言ってまた飲み始める。

 
そうして30分程その場で2人の会話は続いた。


ドガァンッ!!
急に地響きが立つほどの凄まじい衝撃が突如として辺りを襲う!


「ッッ!!何だッ!」


「酒肥」に居た者達は皆一様に混乱している。青年はスグサマ外へ飛び出し、その目で何が起こったかを見ようとした。こちらもそれに続く。


 
――――昼間にうごめく異様な怪物――――


それが、青年のみならずその場に居合わせた者全てによぎった、真の感想だったに違いない・・・。


「何故・・・何処から・・・」


今しがた、自分自身で安全を確認したばかりなのに、それはそこに立っている。その事が青年には理解できない。次第に力が抜けていっている様に見受けられた。怪物の周りにはもうすでに7〜8の死体が転がっていた。どれもここに居た人達だった。


怪物は2本の大きな牙に鋭く赤黒い目。全身は筋肉隆々で、体長は2〜2m30と言った所か、その獣の様な外見はまさに野獣を彷彿とさせた。そしてまた1人、人間を殺した。


それを見てはっと我に返った青年は、すぐに2本牙の野獣に飛び掛った!


「お前ッ!!」


野獣もそれに気付く。
青年の第一撃、スタンダードに右手ストレート、は野獣の腹部辺りにヒットした。
だが、野獣は耐えた。そしてすかさず右の巨腕を振り下ろす。
が、それを軽くかわす青年は、退き際に両足でその酷くオゾマシイ顔を思いきり蹴飛ばした。


たじろく野獣。そして完全に怒りの矛先を青年に向けた。注意を自分に向ける事に成功した青年は、聞きなれない言葉を発した


――いや、呪文なのだろうか?


「“ムジンヘンゲ”!!」


すると、一瞬のうちに青年は淡い緑の粒子に包まれ、見慣れない鎧一式をまとった姿となって現れた。


「殺す」


左腰に携えていた鞘から両刃の長剣を抜き出し、再び野獣の元へと駆け出した――
繰り出される斬撃!右へ振り上げたかと思うと、即、下腹部辺りを一直線に切り込み
反撃を与える隙を見せない巨漢には避けがたい剣撃、それを青年は次々と放っていった


「せいッ!」


剣撃の締めに真上から長剣を振り下ろした、野獣はかなり堪えたようだ


「グゥゥゥゥ・・・」


低い唸りを発する野獣。それでいてなお青年を睨んでいる。どうやら、決着は着いたようだ。
青年は大きく息をつくと、長剣を地に水平の形で胸の前に置いた。


そして言う。


「リュウ」


すると次は柄を握っている右手をそのまま左腰の横へと移動させ、そこでまた


「オウ」


と発した。そして次の言葉を発しようとしたその瞬間、なんとあれほどまでにやられていた野獣がいきなりその酷く大きな口から一筋の光――その色は紫にも似ていた――を放ったのだ!


不意をつかれた青年には避ける術も無く、見事その光に飲み込まれてしまった。
吹っ飛ぶ青年、それを契機に野獣も飛び出す地面に叩きつけられ動こうにも動けなさそうな青年に詰め寄り、
その巨腕を振り下ろす右、左、右、左・・・先ほど青年が長剣でして見せたように一心不乱にいたぶり続けた


誰かが悲鳴を上げた、だがそんなものは今の野獣の猛攻撃には何の意味も成さない次第に青年の動きが鈍くなってきた、その場にいた誰しもが「このままではアブナイ」と悟っていたに違いない。それほどまでにいたぶり続けられている。


「もう、止めて!!」


見ると、日本人らしい女が目に涙を浮かべて叫んでいる。いや、その女だけではない。皆懸命に何か叫んでいる。だが、あいにく日本語しか解せ無い。どれほど続いただろうか、ついにその猛攻撃は終わり、
哀れボロボロになった青年は頭を鷲掴みにされ、宙へ持ち上げられた。そのまま握りつぶすつもりらしい。


青年の体がビクン、ビクンと痙攣している。その時――上から何か鉄の物体――フライパンだ!――が勢い良く落ちてきた。それが野獣にヒットする!


「ガァッ!!」


堪らず頭のてっぺんを両手で押さえ地にうずくまる野獣。その少し上では、コックらしき男がしたり顔でガッツポーズをしている。なんて勇敢な人だ。青年はどうやらまだ大丈夫な様だ。のそっと立ち上がり、目は恐ろしいほどにきつく、
体勢を立て直していた。そして反撃へと・・・駆け出した。


未だうずくまっている野獣の顔を蹴り上げ、次々と蹴りをかましていく!


その滑らかな動きは見事な物だ。
2,3メートル動いただろうか、突如青年は飛び上がり、天高らかに舞い、腰を大きく捻らせた状態から
放った2段蹴りで野獣の顔を捕らえ、真横へ体ごと吹き飛ばした!
巨体が緩やかなカーブを描いて飛んでいく。まるで遠くの人に向けてリンゴを放り投げるように・・・。


そうして、それは「酒肥」の入り口を破壊しながら奥へと入っていった。
青年は、その事を気にしている様子は無い。ただ野獣の動向をその鋭い目つきで伺っている。
――野獣はもう生きてはいなかった。


ともかく、この騒動は一応の結末を得たのだった。


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