なあ……また、あの歌を歌ってくれ……






あなたって、ホントにこの歌が好きなのね








ああ……その歌を聴くとなんだか心が休まる……










いいわ……。あなたのために歌ってあげる












悲しげな歌声が













戦渦に消えた

















――Silver Wolf――




















 冷たく柔らかい風が頬を撫でる。


見渡せば標高何千もあろうかというはだけた山々が青く連なっている。


その先には白い雪をかぶり、空は一層に蒼く晴れ渡っている。


澄んだ水、新鮮な草、のんびり遠くを見つめるヤギ達。


彼は心身ともに疲れてはいつもこの高原へ来て、ボーっと景色を眺める。


それがいつの間にか彼の決まり事になっていた。


名はシュバルト――シュバルト・L(ロウス)・リックマン。今は国の傭兵をしている。


傭兵といっても正規に雇われてはいない。彼は国に何か大事の兆しがあるときのみ動き、


極秘裏にそれを鎮圧するのが主な任務である、いわゆる隠密兵だ。


これまで数々の変革の危機において貢献してきていた。そのせいか、正規ではないにしろ、


国の兵たちにとって尊敬の対象となっている人物であり、なお且つ歳は34。


まだまだ若い部類の人間であった。


 彼の国は王制で、その王はあまり民想いではなかった。何かにつけては他国と争い戦争を仕掛け領地獲得を望む。


その上、国民に重税を課し、出来るだけの金を搾り取り、その金で豪遊していた。


それ故に絶えず市民の間に不信感が募るのはもはや当たり前の事であった。


だから彼、シュバルトのような兵が必要とされたのだ。


 シュバルトはなかなかの剣士であった。長身かつ重厚な銀刃の大剣を操り、並み居る敵兵や化け物たちを蹴散らしてきた。


彼には神々の守護はほとんど皆無であったが、それを補うくらいの剣筋を有していた。


その我流剣技から銀狼(シルバーウォルフ)として、民衆からは憧れの、敵対する者には


畏れの眼差しでみられていた。だが、当の本人はさして気にしてはいなかった。






「フゥッ……」


彼は、今日もこの高原へやって来て、ボーっと遠くの景色を観ていた。


「…………」


サァァァァァ


風が地に生い茂る草達をなびかせる。


空にはゆっくりと雲の塊が流れて行く。


「…………」


何も起こらない。何も無くただ時間だけが過ぎて行く。


「……・・」


辺りは何の変哲も無いのどかな風景。一見すると今の彼は一切の思考が介在していないかのようだ。


「……・・」


彼はふいに気配を感じた。人の気配だ。


がしかし、特に気にするような事は無く、先ほどまでと同じようにボーっと前方を眺める。


草を踏み進む音がしてそれは段々近くなってきた。


「こんにちわ」


耳からごく自然に入り込んできたその声は女の声だった。


彼は特に反応を示さない。と言うより無視だ。


声の主は少しの間彼の背後に佇み、しばらくして意を決したかのように隣へ座った。


「ねえ、聞いてる?」


彼は自分の時間に別の時間が混じった感を覚え、微妙に顔をしかめた。それを観て女は、


「あーそんな顔をするー。挨拶ぐらいしてくれたっていいじゃない」


と口を尖らせて言った。


「……ああ、すまない。返事をしようとは思ったんだが……俺は、こうして一人の時間に居るのが好きなんだ。


だから面倒くさかった」


まだボーっとしている。


「むー。…………なんだかあなた友達居なさそだね」女は眉をひそめながら言った。


「なんとでも思ってくれていい。所詮俺はそんな男だ」


対してシュバルトは普通に言い放った。


そしてようやく女の方を見る。――少女だった。歳は十五、六だろうか、妙にあどけない雰囲気をしている。


それは顔からも体つきからも想像できた。


さらに彼の洞察は続く。上に白いコートのような物を羽織い、その下にはやはり白のワンピース。


顔はふくよかで、目は澄んだブロンド。セミロングの金髪だ。


「あなたの名前は?」


彼女はシュバルトの洞察に気付いていない。「シュバルトだ」一言呟いた。


「私はイリス。よろしくね!」


イリス――彼は普段聞きなれないその名に若干の引っ掛かりを感じた。いや名前だけではない。


顔、目、髪、どれをとっても彼が今まで見た事の無い人種だった。


この国の者ではないな、そんな考えが脳裏で確信となる。


「聞きなれない名だな。どこの出身だ?」


「え!ん、っとね……」彼女は急にまずい事を聞かれたかのような顔をした。


「ん〜と……西の方の国の生まれなの!そう!西の国」


シュバルトは無言のまま見つめ返す。


「あ〜信じてないでしょー。ホントにそこ出身なんだから!……なんなら国歌、歌いましょうか!」


「いや、いい」


彼女は何か腑に落ちないようなしかめ面で隣を睨む。そして彼はそろそろ聞いてやる事にした。


「で、何のようだ?」


「何のようって……ただ、ここに久しぶりに来てみたらあなたがボーっと座っていて、


一人で寂しそうだったから声かけてみたのよ……」


シュバルトと言う男は普段他人の事などあまり考えない。それは長年殺伐とした仕事


をしているうちに身についたある種の癖であった。しかし、彼はイリスと言う少女にはど


こかそんな彼にこびりついた癖をそぎ落とすかのような雰囲気があるように感じていた。


だから初めて会ってからまだたいして時間は経っていなかったが、彼の心は幾分か無防備だった。


なので、彼は思わずその気遣いに対して


「そうか、それは嬉しい。こんな男に君のような娘が声をかけてくれるなんて光栄だな」


どこか変な言葉で感謝した。


「ふふ、ありがとう」彼女は微笑んだ。


そうして、しばらくの間二人は眼前の絶景に見入った。





 ちょうど太陽が頂上から落ち始めた頃、急に彼女が


「ねえ、歌は好き?」


柔らかな声で訊いた。


またボーっと観ていたシュバルトはハッとして


「あ、ああ。嫌いではない」


曖昧な返事をしてしまった。


「私ね……小さい頃から歌が好きだったの……。いつもここに来ては日が落ちるまで歌っていたわ」


懐かしそうな、笑みの混じった顔をする。


「歌を歌っているとなんだか頭の中がスゥってなって、それから気持ちが良くなるの。


そう、体中に幸せな感じが溢れてくるって言うのかな。……とにかく歌うことは好き」


彼は川のせせらぎ、あるいは小鳥のさえずりを前に、眼を閉じたまま深々と佇むかの様に


彼女の喜びを聴いていた。


「そうだ!ねえ、ここで一曲歌ってあげよっか?」


元気に立ち上がった。


「そうだな……。それもいいな……では、頼もうか」


「じゃあ、何を歌って欲しい?」彼女は嬉しそうに訊く。


彼はしばらく考えて


「アベマリア、を頼む」


「アベマリア?」


「……・」


「……何だ?」


「いや、あなたみたいな人がこの歌を聴きたいなんて意外だなぁって思って」


「知らないのか?」


「いえ、全然知ってるよ!こうみえても世界各国のいろんな歌をマスターしてきたんだから!」


「ハハッ、それは凄いな」


「アベマリアって一口に言っても色々作曲されているんだけど」


「エレンの歌第三番を」


彼女の頭の上に疑問符が浮かぶ。


彼は仕方なしに出だしを少し歌った。


すると彼女はようやく理解したのか、顔をパッと明るくさせ、


「それなら最初から歌ってくれればよかったのに」


すぐ口を尖らせた。


「じゃあ、いくよ」


数回咳払いをして、


スゥっと息を呑んだ。



――見渡せば標高何千もあろうかというはだけた山々の


――澄んだ水、新鮮な草、そして一心にその草々を食べるヤギ達の間を


――高く美しい聖母への祈りの歌が響き渡る。


――それはなめらかで、澄んでいて、どこまでも細くて


――聴くものの汚れた心を浄化する


――そんな綺麗な歌声だった





しばらくして歌声が聴こえなくなると、


「…………」


やけに目を見開いて


「いや……、素晴らしい……」


彼は驚いていた。


「へへっ。どう?上手いでしょ」


彼女は得意げに顔を綻ばせる。


「もう一度、もう一度聴きたい。是非、歌って欲しい」


シュバルトは興奮した様子で頼み込んだ。よほど彼の心に歌声が響いたのだろう。


するとイリスは


「アンコールね。いいわよ。何回でも歌ってあげる」


笑顔を崩さないまま、また息をスゥっと吸い込んだ。





太陽が青くはだけた山の一つに隠れ始めた頃、シュバルトとイリスは互いに別れを惜しんでいた。


「できればもっと君と居たかったんだが、俺には仕事があるからそうもできない。とても残念だ」


シュバルトはそう言った。


「私も残念だわ。そりゃあ最初の印象は悪かったけど、でもそれは誤解だった。あんなに


たくさん歌が好きな人に悪い人なんていないから」


彼女の微笑みは夕日と相まって一層綺麗だった。


シュバルトも笑みを浮かべたが、だが、それはどこか影を伴っていた。


「でも、大丈夫。私、当分はここに居るから。その間中ならいつでも会えるよ」


彼は少し眉間にしわを寄せて


「そうだな……、月に一度ならここに来れるんだが……」


言葉をにごらせた。


「ううん、全然平気。私待ってるから」


「そうか、わかった。なら、俺もできるだけ多くここに来るようにしよう」


「りょーかい!じゃあ……また、一ヵ月後?」彼女は彼に同意を促す。


「ああ、一ヵ月後、だ」彼はそれに応じた。


二人の間にほんの少し静寂が流れた。


「では」


「またね」


そうして、二人の男女は互いに別の道へと歩き始めた。


数十歩ほど歩くと後ろの方から


「そうそうー、今度会う時までに歌のレパートリーもっと増やしときなさいよー」


澄んだ高い声が響いてきた。


シュバルトは思わず頬を緩めた。









 ある日の昼頃。


シュバルトは玉座の前に片膝を着いていた。


「報告は以上です」


淡々と自国の様子を王に伝えた終った所だった。


白いひげを蓄え、いかにも伝統のありそうな赤の衣装を身にまとい、両脇に男二人を侍しているその国の王は、


さもつまらなさそうにそれを聞いていた。


「なら……お前の報告だとこの国に不穏な動きはない・・と?」


「はっ」


短くそれでいてハッキリと答える。


王は眉をしかめて言う


「確かにお前を拾ってやった時からのお前の言動は信頼に値するものだ」


「お褒めいただき、光栄です」


「ふむ、だがな、ここ最近のお前の報告にはどうも信用に欠けるふしがある」


シュバルトは王の言動の真意を汲み取れず、少し眉をひそめた。


「と言うのもだなシュバルト。お前には隠していたんだが、最近もう一人他にお前と同じ事を兵にやらせたのだ」


シュバルトの胸に一筋の不穏が走った


「するとだな、シュバルト。そいつの報告ではおかしな事にだ、最近の国民どもの間には


どうもよからぬ話が挙がっている、との事だったのだ」


シュバルトは眉一つ動かさず、しかし心の中では穏やかでない波が立ち始めるのを感じていた。


王は続ける


「無論、貴様だって人間だ。一度や二度の間違いなどある。今回の事も私が気まぐれで兵を出したのだ。確かに今回はたまたまそうしてこの様なよからぬ話が挙がった。それも貴様が見落としていた話だ。……シュバルト、貴様はこの私に仕えてまだ日は浅いがよく尽くしてくれている。感謝している。先の隣国との一戦、あれは特に貴様あっての勝利といっていい。それほど貴様はこの国に無くてはならない存在なのだ」


シュバルトはじっとその言葉に聞き入っている。


王は続ける


「だからだ、シュバルト。私は今回の不手際の事で特に貴様を処罰せん。まあ、少々の罰は受けてもらうがな。……何故こんな事をすると思うか?それは貴様に期待しているからだ。わかるな?貴様はあの時私に忠誠を誓った。そしてそれは契約によって絶対化された。故に貴様は私を裏切れん。裏切ったらどうなるかは……重々わかっているはずだ」


脳裏にあの夜の事が蘇る。シュバルトは奥歯を静かに噛んだ。


「いいな、シュバルト。今後はもっと気を引き締めて行動しろ。貴様が望めば兵の十人や二十人、貸してやってもよいのだぞ。だがそれでも貴様が一人で動くというから今はそうしてやっているだけの話だ。無理をするな。いいな」


「はっ、ありがたきお言葉」


「結構。なら処罰を下す。これ以後十日間、任を国民監視役から野獣討伐部隊に変更。そこで働け」


王の言葉を受けて、


「はっ」


手短に返事をして、次に言葉を慎重に選びながら言った。


「王、無礼だと承知で一言お聞きください、……その、もう少し民のために今の制度を考え直されえてはどうでしょうか?民は今大変困窮してましてそ」


「何を言うか、シュバルト!!」


王が凄まじい剣幕を立てて怒鳴った。続けて、


「貴様、俺のやり方に文句でもあるのか!一体誰が野垂れ死に寸前だった貴様を助けたと思っているんだ!そのことも忘れたのか!ああ?シュバルトよ!」


「いえ……失礼しました。私は断じてそのご恩を忘れたりはしません。あの時、王に助けていただけなければ私はもうこの世にはいなかったでしょう。……とんだ失言をお許しください」


「ふんっ!!この野良犬がっ!貴様なんぞがこうして俺と話せるだけでもありがたく思えッ!」


シュバルトは頭を下げ、沈痛の面持ちで唇をかんだ。


「さっさとでていけ!!」





 その日の夕方。


シュバルトは、町の酒場にいた。


「よぉ!シュバルトさん!!今日もお勤めご苦労でしたな!」


あご髭をそこそこに蓄え、全体的にごつい体格の壮年男がジョッキを持ちながら近づいてきた。


シュバルトは男を見て軽く微笑んだ。


男はすぐさまシュバルトの対面に座ると、おもむろに一杯含んだ。


「相変わらず良い飲みっぷりだな、ライムさん」


笑顔のまま苦笑じみた声をかける。そうしてシュバルトは自分の分を含んだ。


「いやぁー!実に良い酒だ!へへっ、今日も疲れた酒が上手い!!ってな」


がはははははは、と豪快に笑うライムという男はすでにできあがっている。


二口目の酒を口に含みながらシュバルトはその光景を静かに喜んでいた。


「あーはっは、なあシュバルトさんよぉ、こうも酒が上手いと昼間の嫌な事なんかも、


こう、パァーっと忘れちまうよな!」


シュバルトの笑みが薄く消える。――昼間、彼はそういったが本心としては一日中嫌な事だらけなのだろう


という事をシュバルトは知っていたからだ。


そしてそれはこの国に居る限り逃れられないモノなのだという事も。


ライムはシュバルトの影に気付いた。


「なぁ……シュバルトさんよ……」


そして急にトーンを落とした声で語りかける。


「あんた……悩んでんだろ?他の連中にはわからなくても、俺にはわかるんだ。何せ、六年来の付き合いだからな」


ジョッキを置く。


「たぶん、悩みはこうだろう。『自分は警官をやっている。市民の平和を守るのが俺の義務だ』


これは前にあんたが言ってたやつだ。でだ『だが、俺は知ってしまっている。近々この国で大規模な革命が行われようとしている事を。


それも実行する立場である市民から得た情報だ。間違いは無いだろう。さて、ここで俺は次にどうすればいいのだろうか』


……単にあんたが上に報告するような人間じゃないってのは俺達は分かってる。だからあんたにだけ教えた。


その……何度も言うが、確かに今まで忠誠を尽くしてきた国を裏切る事は簡単な事じゃねぇ。


特に自分の信念に基づいて自ら警官になったあんたにとっちゃあなおさら難しい事だ。


でも、あんたは言ったよな『この国は間違っている』ってな。『こんな国の在り方なんて絶対に


どこかおかしい。市民は汗水流して死ぬ思いで働いているのに、王とその一部の側近達は市民から搾り取った


財産を元に豪遊している。また兵には他国との無謀で無計画な単なる私欲のための戦争を課す。そのために


何人部下が死んだと思っているんだ。絶対に間違っている』そう、目に涙溜めて言ってたよな。


俺達はその時、ああ、この人なら俺達の力になってくれる、って思ったんだ。なあ、だからさぁ是非俺達の力になってくれ!


結果的にあんたを危険にさらす事になっちまうが、それでも俺達は『力』が必要なんだ。あんたの腕と人柄を見込んでのことだ。


頼む、どうか力になってくれないか?」


ライムのすがるような瞳を見てシュバルトは心底まいっていた。彼はライムの話を聞いて、そういえば自分は、


軍での素性がバレない様に職業を警官とし(もちろん王の命の下で、だ)市民に嘘を言い続けてきた


事と、以前この酒場で無理やり周囲に酒を煽られ不覚にも心中を吐露してしまった時の事を思い出した。


前者は承知していた事だったが、後者は予想外だった。


「ライムさん……あなたは体格に似合ってかなりの力持ちだ。それに強固な意志と誰よりも温かい優しさを持っている。


そう、だから周りの人からは多くの信頼を得ている。俺は……そんな人を友に持ってすごく嬉しいんだ。できればこれからも


ずっとあなたと友としてこの関係を続けていきたいと思っている。いや、これはもう俺の願望だ。もちろん、あなただけじゃない。


俺はこの国の誰もが優しくて、親切で、社交的で、活気があって、とてもとてもあったかい心を持っている事を知っている。


まあ、一年中そうであると言えば大げさかもしれないが、良い人ばかりだ。俺はこれからもこの人たちと一緒に居たいと思っている。


これも願望だ。……六年前のあの日、俺は死んでいれもおかしくなかった。でも俺は死ななかった。


それは、あなた達が見ず知らずの死にかけた一人の男を迷いも無く助けてくれたからだ。


それだけじゃない。その後も行く当ての無かった俺を家に迎え入れてくれたり、色々世話をしてくれたり、


にもかかわらず俺が何も出来ないで居るのを大丈夫、あなたは何も心配しなくてもいいのよの一言で許してくれたり……。


俺は本当にあなた達にかんひゃしている。うそじゃない」


ライムと言う男は、対面に座ってがぶがぶジョッキを口に持っていっている一人の涙目の男をみながら、


(ああ、酔いが回ってきてるな。こりゃあもう駄目かもな……)


手を完全に休めていた。






「じゃ、シュバルトさん。俺達はこれから人殺しに行ってきます。まあ、その前に俺達自身が殺されるかも知れないけどな。


だが、例えそうなったとしても、何とか一矢報いてやりますよ。そうただでは死なねぇ。あんたは俺達に人殺しをさせたくない


なんて言っていたが、今はもうこうする以外に方法はねぇんだ。……勘弁してやってくれ。な?シュバルトさん」




毛布に包まれてぐっすり寝入っている男にライムは別れの挨拶をした。


それはもう二度と言う事の無い様になるだろう最期の挨拶でもあった。


その寝顔をみて一瞬の安堵を得た全体的にごつい体格の壮年男は、


踵を返し、二度と振り返らずに、酔っ払い一人しか居ない酒場を後にした。










「今こそあのクソ憎たらしいヘイム・リトワルトを倒せー!」


「ヤツを処刑台に引きずりおろすんだー!」


「国民をなめるなーーーーー!!」


どこかで高く乾いた音がした。それは金属と金属が激しくぶつかり合った際に聞こえる音のようであった。


と同時に何千何万もの怒号が国中に轟いた。


普段は街のメインストリートである大きな中央通りが、今や黒や茶、白に銀といった色で埋め尽くされ、


もうそこに大通りがあることすらわからない状況になっていた。


国のあらゆる所で金属と金属がぶつかり合い、一人また一人と絶命していく。


人々は倒れ、それでもなお突撃を繰り返し行う。彼らの目指す先はただ一つ。目の前の大きな大きな山だった。


一方、主に銀色を身に着けた人々は色とりどりの人々とは逆に彼らの勢いを止めて、あるいは押し返している。


まさに地獄絵図がここに形成されようとしていた。




 その少し前、酒場の窓から差し込む光によって眠りから覚めた男は、辺りがだいぶ明るくなっているのを認識した途端、


慌てて城へ戻り、待機していた自分の隊を率いて国外にうろつく野獣どもを狩りに出かけた。


そこは遠くに青い山々が連なり、近くに壁で周りを囲っている白い山が見える丘で、その日は特に気持ちの良い穏やかな一日だった。


ちょうど昼頃だろうか、シュバルト達がその国の討伐隊としては久々の不作に少々落胆して帰る準備をしていた時、


一人のシュバルト達と同じ鎧を着た兵士が慌ててこちらに来るのがみえた。


「シュ、シュバルト隊長!!」


息を切らせながら何とかシュバルトの前に到達した。


「どうした。お前の配置は確か監視台のはずだろう」


シュバルトはそう言ったが、この兵士が来た理由は何となくわかっていた。


「く、国が!市民が反乱を起して……それで今国中の全兵士が応戦していますが……


あいつら暗黒の契約を交わしてて、とてもじゃないですが我々だけでは勝てなくて……ハァハァ……」


息を詰まらせながらその兵士は報告を続けた。シュバルトの目から見えない涙が流れた。


「そうか、わかった」


振り返って、


「……お前達!これより国に帰って市民の暴動を鎮圧する!相手は暗黒の契約を交わしている。もう普通の人間ではない。


悪魔だ。ただで済むとは思うな!」


「いいか!今までの絶間ない訓練の日々は、今日この日の為にあったのだ!もはや市民を人だと思うな!一瞬たりとも油断することなく


向かってくる敵に対し最後まで己の剣を振りぬけ!」


三十のはっきりとして、それでいて短い返事が響いた。


そこは遠くに青い山々が連なり、近くに壁で周りを囲っている白い山が見える丘で、その日は特に気持ちの良い穏やかな一日だった。








「がはっ」


また一人、死んだ。


だがそんな事はこの国ではもう当たり前になっていた。


あらゆる地面には色んな形の肉塊が、あちらこちらに点在し赤の色で彩られていた。


最初は凄まじいまでの活気があった中央通りは今ではまばらに虐殺があるだけ。


ただ銀に光る金属の塊がじっと空の太陽を見ていた。






「何故こんな事に!おい!衛兵!衛兵!何処に居る!!くそっ!目が!!」


白いひげを蓄え、いかにも伝統のありそうな赤の衣装を身にまとい、かつて両脇に男二人を侍し


ていたその国の王は、目を失っていた。


「シュバルトは!!奴は何処に居る!!」


誰も居ない隠し廊下でただ一人わめき散らしている王の額にはもう何個ものタンコブと血の川が出来上がっていた。


そうして進む事数分、王は目の前に柔らかな風を感じた。


少々歓喜の声をあげ、歩調を速めた。二回頭を打った。


「探したぜ……。ヘイム・リトワルト……」


「!?だ、誰だ!!シュバルトか!?」


「違うな。俺はあんたの人生を終らせにきた者だ」


王の表情が凍りつく。


「さあ、覚悟しやがれ」














我が軍はもう戦えません!


誰か!衛生兵を!!こいつ、脇腹が……


母さん……もう一度会いたか


この化け物がッ!!


ぎゃあッ!!


降参だ!!白旗を


馬鹿か!奴らにそんな合図が通じるかッ!


衛生兵!!衛生兵!!早く!……こいつ死んじまうよ……


ああぁぁぁぁぁぁああぁぁッ!!


お前は右の奴を殺れ。俺は左を殺る。いいか、絶対に死ぬなよ


隊長も……死なないでください


神よ……もしあなたが本当に居られるのでしたら、この私の前に居る醜くけがれ


第十六遊撃隊はッ!くそッ、もう手が動きやしねぇ……


「何故、君がここに居る?」


やってやる……この俺にだって集中すれば!


………………パン屋のオッチャン……何でこんな姿なんかになっちまったんだよ……


援護が遅いッ!後ろは何やっている!!


確か城の裏庭に秘密の抜け道があったはずだ……おい、そこから二人で逃げようぜ


「あなたの歌がまた聴きたくて」


おぉーい!ここだぁー!ここにまだ逃げ遅れた人がいるぞぉー!


「歌?俺の?……きみが俺の歌は下手だって言ったんじゃないか」


ハハ……血が、血が、血が、止まらねぇよ……


ユリアァァァァァッ


剣がいくらあっても足りゃしねぇ


「それにもう一度歌が聴きたかったのはこっちのほうだ」


考えも無しに突っ込むな。少しは頭を使え!


目がみえない……


「……私、あなたの歌声は好きだから」


大丈夫か?おばあちゃん。さあ、ここから逃げるんだ。歩けるか?


「ん……その背中の白い」


だぁすげてーーまだ死にたくねぇよー!


「そうか……俺を迎えにきたんだな……」


終ったな……何もかも……何で俺はこんな軍に入ったんだろ?


「まさか本当に存在したとはな……ずっと神話の中の出来事だと思っていた」


痛いよぉー!ママーママー何処に居るのーー!!起きてよパパー!!


「なあ……また、あの歌を歌ってくれ……」


「あなたって、ホントにこの歌が好きなのね」


「ああ……その歌を聴くとなんだか心が休まる……」


「いいわ……。あなたのために歌ってあげる」


ちくしょう!ちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうッ!ぅあああああぁぁぁ!!


はぁはぁ……何とか倒したな……


おい!何か歌が聴こえないか?


何言ってる、こんな所で歌を歌う奴なんか……


だろ?やっぱり聴こえる……何処だ、何処に!?


いや……多分何処にもいねぇな……終ったんだよ。何もかもが。神様がもう終わりにしろって、言ってんだよ


何言ってやがる、お前切られすぎて血が足りなくなったか?……諦めるなよッ!


もうどうでも良くなってきた。市民を守るために軍に志願したのに、その市民に殺されかけてるなんてな……


おい!来るぞ!!早く立て!


何のために今まで槍持ってきたんだか……


おい!早く立てよ!くそッ!


うたが……きこえる……だれがうたってるの。まま?ちがう、ままのこえじゃない


早く殺れよ……俺を楽にさせてやってくれ……


でもきれいなおこえ。わたしもおおきくなったらこんなうたをうたいたかったな


俺もとうとうお終いだな。天使の歌声が聴こえる。ああ、なんて綺麗な声なんだ


全力前進!!まだ戦えるぞ!!


ユリア……天国で僕を待っててくれ……


「有難う。もう一度この歌を聴けて、本当に良かった」


「どういたしまして」


動いてくれよ……なぁ!


「そうそう、まだ聞いてなかった」


「何だ?」


「あなたってカトリックなの?」


「どうして?」


怖い……怖いよ


「アベマリア、好きなんでしょ」


「ああ、それはさっきも言ったはずだ」


「心が休まる……」


「そうだ。何故かは知らないが不思議と安心する」


「何故だか、な」


「そう……わかった」


王は無事逃げおおせただろうか


「もうだいぶ見えなくなってきたな。……終わりだ」


「今までお勤めご苦労様でした」


「……よせ、そんな風に言うのは。……最後ぐらいは兵士としてでなく一人の人間として扱って欲しいものだな」


「そう?じゃあ、お疲れ様。今まで良く頑張ったわね」


「……何だか、これが最後の会話だと思うと拍子が抜けるな」


「何よ、あなたがそうして欲しいって言ったんじゃない」


「まあいいか。こういう最後もあるのだと思えば気にはならんしな」


「むーなんかふに落ちないなー」


「で、本当に俺でいいのか?」


「うん、もう決めたから」


「俺のほかにも腕の立つ奴ならたくさんいるぞ」


「そんなんじゃなくて……これは私の意思だから」


「私情で俺だけ助けるのか?」


「 あなたはもう助からない。契約が破られてしまったから。でもね、私、あなたのその強い意志はここで失わせたくないの」


「きっと後の人々の為にもなると思う……。だからあなたを迎え入れたい……」


「確か……そこに残るのは俺でなく俺の力……だっ……たな」


「そう、でも力だけじゃない、私の中で記憶としても残っていくから……」


「………………そうか…………・わか……った…………」


「じゃあ、いくね」


















へへッ、これで俺もついに親父の所へいけるってわけだ。大していい人生じゃなかったな。













……なあ親父よ……そっちの世界はここより平和なのかい……




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