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――いったい、どこからがぼくでどこまでがぼくでないんだろう。

そう考えながら何気なしに自分の右手をみた。

――例えばこの右手が無くなってもぼくはまだ死なない。

つぎに自分の足をみた。

――この足が無くなっても別にぼくが死ぬわけでもない。

最後にぼくの心臓に思いを向ける。

――ということは、やっぱりこの胸と頭がぼくをぼくだとしているってことになるのかなぁ。







そこまで考えて、ぼくは17回目の"じっけん"を終わりにした。








――Where am I??――







 灼熱の太陽が照りつける今日の午後は、さすがのアスファルトといえども暑さでドロドロに溶けるんじゃないかと思えた。
今日の最高気温は34℃。ここ数日はずっと熱帯夜が続き、世間ではエアコンと扇風機が大活躍している。
 この道に入ってからかれこれもう一時間も歩き続けている。
 肉体的・精神的疲労で鉛のように重くなった自分の足に配慮してか、俺はふと遠く先を望んだ。いま歩いているこの道は兵郷県を縦断している国道で、その先は日本海と接している県の最北端へと続いている。夏の海を想像すると、普段は冷たい海水の中をゆらゆら漂ってほどよく冷やされる自分を想像できる。だが、この異常ともいえる暑さだ。そのような甘い幻想は粉微塵に砕かれ、ただ視界の先にゆらゆらと揺れるアスファルトの陽炎に絶望を感じ続けるしかない。この分だと先はまだまだ長そうだ。
 どうして俺がこんな苦労をしなければならないのか。その答えは『異能者犯罪対策制度』にすべて集約されている。まったく、この制度を考え出した奴ってのは、頭は良かったのかもしれないが、根本的に人に対する思いやりが欠如してたに違いない。そうでなければ、いま俺がこうしてこの異常気象の中、わざわざ地べたを歩いて民家すらろくに無いような片田舎を汗だくになって必死に歩かなければならない理由に説明がつかない。

  異能者犯罪ニ対処スル為ノ特別措置法 第十三条
 「異能者犯罪ト認ムル事情アリタルトキハ”法令ノサダムル所ニヨリ”コレニ対処スルモノトスル」"
  異能者犯罪ニ対処スル為ノ特別措置法施行令第六条
 「法第十三条ニオイテ規定スル法令デ定ムル対処ハ以下ノ通リニ行ウモノトスル。一、異能者ノ脅威ガ社会通念上刑法ニ規定スル犯罪ト同視デキル程度デアル場合 通常ノ刑事訴訟手続ニ準ズル。…………五、異能者ノ脅威ガ社会通念上通常ノ国家戦力ヲ以ッテシテモ対処シエナイト認メラレル合理的理由ガ存スル場合 法律デ定ムル手続ニヨリ選任サレタ異能犯罪特別専門官ニコレノ対処 ヲ依頼スル」

 愚痴をこぼしてると、脳裏に諸悪の根源たる悪法2条が思い浮かんだ。つまりこれらの条文は"自衛隊でも手に負えない社会のゴミくずを見つけた場合、『国選対処人』さんにお掃除してもらうこと"と言っているわけだ。もちろんこの後の条文には"こうしたお掃除は本来能力者の使命なのであって、それに国家戦力まで提供する形で協力したのだから、謝礼なんて出せるわけがない"というへ理屈もばっちり添えられている。
 いいよね、能力者取り締まりに"形だけ"協力したように装いさえすれば、あとは能力者同士で解決してくれって大義名分を振りかざせるお国様は。そのおかげで、なかば強制的に仕事を押し付けられるばかりか、場合によっては命の危険まである厄介な相手とタダで立ち向かわきゃならない、俺みたいな哀れな雑兵が日々涙を飲んでるっていうのに。
 苛立ちながらまた先を見やる。さっきと少しも変わっていない景色が見えた。ここはコンビニはおろか何とか商店すらない県中部の片田舎だ。それなのに政府はなんでこんな未開の地みたいな場所に国道なんて通したんだ。そりゃ国民にも税金の無駄無駄言われるよ。
 
 そんな非生産的な思考の途中で、自分の携帯に着信がきた。その事務的な着信音で本部からの連絡と分かる。適当に頭を切り替え、「受話器上げる」のボタンを押す。電話に出たのは派遣元の新人オペレーター。説明によるとどうやら今回の依頼内容に若干の変更があったようだ。
 曰く、今回のターゲットである犯罪者の処遇を当初の予定である"逮捕・無力化"から"緊急保護"に変更との事だった。
 俺は違和感を覚え変更理由を問うた。なぜなら、この指示は普通に考えれば不自然すぎるものだったからだ。
 そもそも、今回の依頼は盗撮魔の逮捕だ。目標たる盗撮魔は過去5年間もの間、日本全国ありとあらゆる所で女性の下着を盗撮してはインターネットにその画像を流している筋金入りの変態野郎で、マニアの間では盗撮界の神とかまで呼ばれている有り様。
 もちろん、最初は警察が捜査を担当していた。高まる世論からの圧力に押されしぶしぶ行っていたという感じではあったが、この5年でようやく掴んだ手がかりといえば『犯人は姿を隠せる能力を持った異能者らしい』ということだけ。それから1年を費やしてもなお新たな手がかりは掴めず、犯人捜しは頓挫した。
 事件の捜査本部はこれを受けて、「このままその"透明盗撮魔"を自分たちの力で捜し続けるには、莫大な人数とカネが必要になる。たかだが変態一人にそこまでするのは馬鹿らしい」として、一連の盗撮事件を異能者犯罪と断定。そして先の条文等を根拠にすぐさま俺たちへ事件を丸投げしやがり、現在に至るというわけだ。
 そう、つまり俺のお目当ての相手は完膚なきまでに叩きのめす事はあっても、VIP並に厚待遇をするような奴ではないのだ。
 そんな事を考えながら俺は相手の返答を待っていた。がしかし、一向にオペレーターは答えてこないことに気付いた。時折り「あの……」だの「えっと」だの言いはするが、肝心の理由がいつまで経っても耳に届いてこない。受話器越しから聴こえる紙の擦れる音で、用意された書類から必死に答えを探している様子だけは伝わったが。
 いくらなんでもこれは酷いんじゃないか。ともすれば命のやり取りに発展しかねない現場にとって情報は最重要品だ。ましてや今回は依頼の内容が変更されるというイレギュラーな事態だ。俺でなくともその理由を知りたがる。なのに、即座にそれを答えられないなんてオペレーター以前に普通の事務職員としても失格だろう。
「……あのー、その指示書みたいな書類の最初辺りに書いてませんかね、理由」
 夏の暑さと移動の疲労と理不尽な仕事の三重苦によって、俺の感情は苛立ちのピークに近づきつつあった。自然と口調も棘々しくなる。だが、それが仇となってしまった。オペレーターはそれを聞いてますます焦ったのか、ついに無言タイムの到来という最悪の事態にまで発展してしまった。
 仕方がないので上司と代わるように言おうとした途端、通話が途切れた。頭の中がパニックになった相手が思わず電話を切ってしまったのかと思ったが、携帯の画面をみるとそうでもないことが分かった。ついに圏外地域に入ってしまったようだ。
 改めて圏内の場所まで戻り電話を掛けなおす。しかし、おかしなことにさっきまで立っていたアンテナがどこまで戻っても元に戻らない。
 俺は通話環境が業界内最低の携帯会社と、いつまで経っても衛星通信に変えない派遣元と、自分の人生の不幸とのそれぞれにきっちり悪態をついてから携帯をしまった。
 ともかく、仕事内容が逮捕・無力化から緊急保護に変更ということは、今回の相手が何らかの事件に巻き込まれて負傷したか、何らかの理由で誰かに追われているかのどちらかが起っているとみた方がいい。まあ、どちらとも犯人の変態趣味に鑑みて十分あり得る話だが、いま犯人の身に何か起るのは非常にまずい。と言うのも、俺達の組織が3ヶ月かけてようやく探し出した犯人が所在不明のまま死なれては困るからだ。。
 異能者、特に能力を用いての大量殺人や経済犯罪など重大な犯罪者を取り締まるのが俺の派遣元である「善意の翼」の主な活動内容だ。……まぁ、それは表向きには伏せられている事だが。
 それを踏まえて、今回は盗撮魔の逮捕という重大犯罪とは定義されていない案件を扱っている。それは犯人が『姿を隠せる能力を持っている』からだ。数ある異能力の中でも、これができる異能者は高位の能力を有しているとみてまず間違いない。すると、今回の相手も盗撮以外に何か重大犯罪を犯している可能性がある。だからこそ、犯人を早急に逮捕しその辺りの事実関係を明らかにする必要性があるのだ。
 それだけ危険な相手を時間をかけてようやく居場所まで特定したのに死なれたんじゃ、組織の信用問題になりかねない。第一、ここまで来た俺が報われなさすぎる。それに、さらなる厄介者をノーヒントで追わなければならないリスクも抱えることになるしね。
 
 ため息を吐いて再び北の方角へ歩き出す。
 今のところ不快な感情も感じられないから、犯人には近づいていないのだろう。ここで急いても事を仕損じるだけだ。ならせめて一息つくのが現状での最善策だろう。どこかに日陰があれば休憩できるのだが……この道だとそれもまだ当分先だろう。
 と思ったが、そうでもなかった。今まで陽炎の一つかと思っていた所が、近づいてみると実は屋根つきのバス停留所だったことが分かったからだ。
 休めると思った途端、嬉しくなり歩く速度が速くなる。この炎天下、少しでも陽を遮れる所があるのは貴重だ。
 しかし、バス停を目前にして俺の歩みは元の速さに戻る。せっかく一人で気兼ねなく休めると思ったその停留所には先客がいたからだ。
 俺は永らく使われてなかったであろう部分的にさび付いた長いすの端に座る。その対極には高校生ぐらいの男の子がずっと遠くを見つめながら座っていた。
 俺は念のため一通り警戒してみたが、異能力らしきものは感知できなかった。それにチラッとこちらを一瞥して挨拶も無いのは現代じゃもうすでに挨拶のようなものだから、彼も純粋な一般人なのだと判断。俺は警戒を解き背負っていた仕事用のリュックから水筒を取り出して、ぬるく冷えたお茶を飲む。
「良い天気ですね」
 不意にその少年が話しかけてきた。俺は少し動揺して飲み干そうとしていたお茶をこぼしてしまった。
 少年がすぐさま謝ろうとするが、それを左手で制して答える。
「……ええ、良い天気ですね。良い天気すぎて汗もかき放題になってますけど、あなたも休憩中で?」
口の端を手でぬぐいながら俺は返事をする。少年は少し申し訳なさそうな表情をしながら、
「はい。さすがにこの暑さはぼくの体には厳しくて」
と苦笑交じりに返事をした。
「あー、もしかして暑いのがすごく苦手なタイプです?」
「ええ、もともと涼しい地方で育ったもんでどうもこの気温には慣れなくて」
少年が苦笑いをした。
「そうですか……。いや、僕も汗だくになるほどの暑さは嫌いでして。毎年この季節はうんざりするんですよ」
適当な会話というのはどうも苦手だ。相手の真意が計れないのは何ともむずがゆい。
「ああ」
話題を変えるべく唐突に切り出すことにした。
「そういえば、あなたのお名前は?僕は東城優って言います。東のお城に優柔不断の優って書いて」
「優さんですか。ぼくはクラミアキラって言います。倉庫の倉に深いって字で倉深。アキラは明るいの明です」
倉深明、まぁありがちな名前だ。ただ一瞬、明るいのか暗いのかどっちなんだってツッコミが思い浮かんだが。
そんな思いとは裏腹に少々驚いたリアクションをとってみせる。
「へぇ、深いの"深"って字は"み"とも読むんですね。初めて知りました」
そう言うと少年は静かな笑みをこぼした。
「はい。たまにそうやって感心されます。でもぼくにとってみれば……何だか変な気持ちになります。まだ自分の名前に馴れていないのかなぁ」
そういってまた困った表情をする。
「あぁ、ありますね。僕も東城って言う名前が地元では珍しかったらしくて、よく人に聞かれてました。『珍しいね』って。でも自分からすれば生まれた頃からの名前なんでいまいちそんな気がしないんですよね」
そう言いながら、ふと昔の風景を思い出す。あの頃は何の変哲も無い田舎な地元だったが、今となっては懐かしく恋しい故郷だ。
 少年は相変わらず曖昧な笑みをこぼしたままだった。だが、何かを思い出したかのように腕の時計を確認する。そして、
「すみません、話の途中で悪いんですけどぼくもう行かなきゃ。今日はこの先にある施設を見学する予定なんですよ」
と言った。確かに俺が通過してきた道の途中に何かの施設らしき建物があったのような気がする。ただ、俺自身はそれどころじゃなかったのでよく覚えていない。
「学校の行事か何か、ですか?いや、その、倉深さん高校生くらいに見えるんで」
失言だった。まだ相手が高校生かどうかわからないのに決めつけるように質問してしまった。
「はい、今日は課外授業なんです。ぼくの高校ってわりと自由で放任な校風なんでこうしたイベントが多くて。みんなは喜んでますよ」
なんと、高校生で合ってたようだ。よかった。
 俺は倉深少年の言い方に若干の違和感を覚えたが、それを追求して時間を取らせるのも相手に失礼だと思い聞かなかった。
「そうですか、じゃあお気をつけて」
俺がそう言うと、倉深少年は軽くお辞儀をして俺とは逆の方向に歩き出した。その時、すれ違いざまに「お話できて光栄でした。無事帰れるといいですね」と声をかけてくれたが、その言葉の意味がわからなかったので生返事を返して別れた。
 そうしてしばらくすると少年の姿が見えなくたった。ぼちぼちかな、とひとりごちでそろそろ能力を使うことにした。

 男は何故こんな事態になってしまったのかまだ理解できていなかった。彼自身は普段通りの"使命"を果たそうとしただけだった。それにも関わらず、いま人生で初めての危機に見舞われている。どこにも危険に遭遇する要素はなかった、のにである。
 助けてくれ、死にたくない。この二言がさきほどからずっと脳裏を駆け巡っている。男には通常の危険程度なら安全にやり過ごせる自信があるのだが、それが通用しなくなった後の事など全く想像していなかった。しかも、何の変哲もないこんな気だるい午後の夏の日に死を直感するなど、どう考えても冗談としか思えなかった。
 こんな時になって初めて男は自分の肥過ぎた肉体を嘆いた。こっちは全力で走って逃げているというのに、すぐにあのイカれた殺人鬼に追いつかれてしまう。こんなことなら4回の間食を3回に減らせば良かったと今更ながらに後悔した。
 
 「ねぇ、まってよ」
 
 男の表情が一気に硬直する。あいつがすぐそこまで来ていたのだ。"殺される"と直感した男はまたドタドタと足音をまき散らしながら逃げだした。しかし、すでに息切れしてから十分はとうに過ぎており、これ以上の逃走には限界があった。それでもなお死の恐怖に駆られた男の両足は必死に大地を蹴りたてて生き永らえようとする。これほどの疾走は後にも先にもこれが最後だろうと内言する男。数キロは走ったであろう地点で再び木の陰に隠れる。
 男がいる場所は今では珍しくなったド田舎だ。民家が密集する地域を少しでも抜けると後は田んぼと森しかない。だから、男は本能的に隠れる場所が豊富な森に逃げ込んだのだった。
 しかし、それが返って仇となった。見知らぬ土地の見知らぬ森に入り込み、がむしゃらに逃げ惑ったのだから今自分がどこにいるのか分からなくなっていた。しかも、舗装されていない自然の大地はただでさえ運動に不慣れな男の足を引っ張り、無駄に体力を消費させていた。おまけに、この時期蝉の鳴く声が耳にうるさく余計に気持ちを焦らせる。もう、どこをどう逃げたらいいのか分からなくなるほど男は恐慌状態に陥っていた。
 体中に擦り傷切り傷を作りながら男は逃げる。途中、大きな岩に勢い余ってぶつかってしまい盛大に転んだが、体を這わせながらも猟奇殺人者から逃れようとした。
 しかし、それも唐突に無意味となった。
 「ねぇ、なんでにげるの」
 目の前に、それがいたからだ。
 顔は逆光で見えなかったが、ぼさぼさのショートヘアーと小柄な体型には大きすぎる服装。なにより汚れのない少年のような高く澄んだ声が男の脳裏に焼き付いている。それだけで目の前の子供があの異常な殺人鬼だと男には分かった。
 「ひゃ、ひゅ、ま、まってくれ!僕がしたことは、あや、謝る、から、命だけは、勘弁してください!」
 男の生涯初の命乞い。それを眼前の子供は雑踏の会話でも聴くかのように無視した。
「ぼくはただしりたいだけなんだ。"さっきの人"はもう返事してくれなくなったから、つぎはおじさんでためしたいの」
 男の心臓が縮みあがる。悪い冗談とはまさにこのことだった。"さっきの人"と彼は言ったが、男が目にしたときは"人"などいなかったのだ。そこにいたのは、
 
 
 血まみれの鋸を持って嗤う子供
 
 
 と
 
 
 バラバラにされた老人に群がる野犬
 
 
だけだった。

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