「ずいぶん頑張ってるようだね」
全身から吹き出す汗という汗が地面に滴り落ちている彼に向かって、つい数分前に出くわしたシュンと名乗る学生が挨拶した。鬼の形相で睨みつける龍王。と同時に左腰より発現させたる龍王剣を引き抜きその切っ先をシュンへと向け敵意を表す。がしかし微動する刃先。
「でもすごいね〜。あれだけドンドン打たれてたのにここ、ほっとんど変わってないよ?」
「あの時の、単なる悪ふざけならまだ許してやったものを。私と優のやつに何の恨みがある?」
余裕、といった表情でシュンは答える。
「うらみ?そんなものはないよ。だからさっきも言ったじゃないか。僕はただ純粋に能力者について調べたいだけなんだって。ほんの数十分だけでいいからさ、協力してよ。ね?」
 無邪気な笑みを向けるその顔の先には疲労困憊の男。自分に向かって鋭い刃先を向ける能力者。
「どうやら真性の馬鹿らしいな。ここまでやっておいてまだそんな事を言う。貴様、もうこの国の法で裁かれると思うなよ」
意外、といった表情でシュンは答える。
「そんな事したらどうなるかはもちろん知ってるよね?僕は普通の善良な一市民だよ。そんな人を手にかけたりなんかしたら……」
不自然な一拍の間を置くシュン。
「君こそ、天界の定めに裁かれる羽目になっちゃうよ?」
彼、龍王は一言々々慎重に言葉を反芻し思考を脳裏で展開していく。
「それはこの場に限って言えば永遠に無い。何故なら」
しんと静まり返る森。一分の隙もない闇。言葉すらかき消され行く程の静謐。彼は静かに告げた。
「貴様は大いなる暗闇の末端。凶王に跪く悪の眷属。その正体は一介の夢魔たる幻惑のトリテル」
また静謐が一面を支配する。
シュンは瞬間、硬直した。が強靭な意志でそれを隠し代わりにまた饒舌な舌を回す。
「何言ってるの?ちょっと僕の理解を超えてるんだけど。何度も言ったよね?僕はただの」
「もうこれ以上の欺瞞は必要ない。貴様の手口は先ほどの優との会話でそれとなく感づいた。夢魔たる貴様はこの私にもまやかしを見せた。そんな所だろう」
「トリ…何?ちょっと何かと勘違いしてるなら違うよ。ぼ、ぼくはただの人間で学生だよ?」
思わぬ指摘に動揺したシュンは初めて取り乱す仕草を見せた。またも不自然な静寂。闇の眷属だと言い放たれたシュンはその顔に困惑と焦燥を混ぜ合わせ、必死に何かを言おうとするが上手く言語化できず口を動かすに止まる。ようやく搾り出した言葉にはその背に相手の誤推理の行き着く先を悟ったかのような恐怖が張り付いていた。
「ま、さか、本気で言った、の?……や、やだなぁ、どうしたらそんなけつ、結論になるのさ?」
憮然とした面持ちで龍王は答える。
「記憶の齟齬だ。私が貴様と初めて会ったときを思い出した時、妙に会話が省略されている様な感じを受けた。しかしその時は一通り自然な会話が成り立っているとしか思えなかった。つまり、会話における意味の欠損が起こっていたという事だ。それとこの森自体にも違和感を感じた。私が最初ここへ到着した際の精霊達はまるで反応が無かった。精霊が黙するということは守護が放棄されたこと意味するからな。だがここはそのような深刻な事態の気配すら感じなかった。闇の者が闊歩するわけでもなく、ただただ平穏が支配するだけ。しかし誰も呼びかけに反応しない」
話の意図を汲みきれない面持ちのシュン。
「となると結論はかなり絞られてくる。現実的な線としては封印がなされたとみるのが妥当な所だろうが、それでもこの森一帯を封ずる力があるのならわざわざそんな手間と労力のかかることなどしないだろう。仮に封印がなされていたとしても多大な浪費をしている状態で私と優を相手にできるわけが無く、必然的に相手は二人以上、しかも人間の武力まで利用するということは一人一人の戦力は低いということの表れ。だとすれば地の利を奪った上にもうニ、三罠をしかけるのが常套だが、それらしいものはない。それだけの罠を以って本気で私たちに挑むのなら準備不足以前に低脳すぎる。すると封印の線も薄くなる」
鋭い龍眼。対面に位置する少年の態度が徐々に物騒な気配を帯びながら崩れていくのを感じ龍王はこれ以上の説明を省く事にした。
「こうした推論とさっき優から聞いた話を総合すると、相手は少なくとも一人は夢魔でしかも中級程度。最近夢魔たちの活動が目立っているという報告を受けていてな、その中でもとりわけ幻惑のトリテルが有力と聞いてピンときた。そんなところだ」
ちなみに姿かたち等々の情報までは知らなかったが、特徴として中度の世間知らずな性格だという情報も推論を根拠付ける証拠であったんだがな、と彼は内言する。ついでにトリテルといったのは完全にカマをかけただけだ、という付言も加えて。
シュンは一変してその顔を今までに無いほど嬉々に歪め、静謐を塗り替えながら言を発していく。
「一体、どこらへんから気づいていたの?通常の能力は完璧に隠していたんだけどなぁ。それに普通僕の術は騙された事にすら気づかないぐらい精緻に仕上がってるはずなんだけどなぁ」
「貴様と初めて出会ったときは気づかなかった。しかし貴様が言った最後の言葉、確か蜂を呼ぶとか言ったな、現実に自衛隊は砲撃してきたが、蜂は来なかった。いや正確には“蜂の捜索の前に自衛隊が砲撃してきた”もっと言えば“蜂による捜索が行われずして自衛隊が砲撃してきた”……これはありえない。彼らの法では異能戦の疑いがある場合、まず「S.U.N.D.b」による状況確認がなされるはずだからな。そのあと、必要ありと判断されて始めて自衛隊に出動要請がかかる。そうした手順が今回の場合は踏まれていなかった、いやそのように感じざるを得なかった。おそらく貴様たちは事前に蜂を呼び寄せ自衛隊を出動させるよう仕向けた後、意識を失っている私たちを一箇所に集め砲撃の的にして始末しようとしたのだろうが、蜂が親を呼ぶのに掛かる時間差をもう少し考えておくべきだったな。私が目覚めたのは砲撃の直前。恒常免疫機構による状態異常の回復に貴様程度のものならば五分は掛からない。記憶のない部分の時間も含めたとしても……」
「回りくどいね。そうだよ、ボクのミスさ。最後の一言は本当なら排除しておかなきゃならなかったんだけど、うっかり忘れてたのさ」
緩い風が吹いた。
龍王の表情にはこれ以上無いほどの獰猛な笑みが広がる。そうか、と一言ついて、
「どおりでおかしかった訳だ。ここへ来たは良いが守り神は何も語らず、妙な墓にも出会った。挙句の果てにはどう考えても場違いな一般人がこれもまた不自然な理由で私の目の前に現れた。そして極めつけはそれすら気にも留めなかった私自身ということか」
笑みはそのまま、龍王は核心を突く。
「その真意は何だ。私と優のやつをだしに何がしたかった?」
「決まってるじゃないか。すべては偉大なる闇の王、シン様の為に」
深々と異界の王に向けて胸と頭を下げる夢魔。添えた右手が一層その忠誠心を際立たせ龍王を不快にする。
やはりか、と一言呟いた龍王はもう砲撃が来ない事を風達から知らされ、紡ぎあげていた「龍の鱗盾」を解除。再び自己へと力を還元させた。
「それはちょうどいい。ここ最近つまらぬ議論や雑事ばかりで剣筋は鈍り肉体は怠けだしていたところだ。久々にここでカンを取り戻すのもいいだろう」
刃の切っ先を下げ、一旦鞘に戻す。
「夢魔たる貴様は少々物足りんが我に仇名すのであれば全力を持って排すのみ。覚悟は、できたな」
身体を剣戦の構えに直し静かに機を待つ龍王。それは幾百戦を超えてきた者が行う自然な動作だった。
「ちょ、ちょっと待ってよ。いくらなんでも僕みたいな人を惑わす事しか出来ない弱小な人間相手に本気出すつもり?それはずるいよね?」
「もはや人間ではないだろう。その力を望み、受け入れた時点で貴様は立派な化け物だ」
「ひどいなぁ、ま、確かにそうだけど。……でもお兄さんに興味があるのは本当なんだよね。ぼくはね、ホントお兄さんみたいな強い能力が欲しかった」
言うにつれその瞳に影を落としていく夢魔。それは過ぎた過去を眺める陰鬱な漆黒。
「ぼくにそれさえあれば」
思わず内面を吐露しそうになり慌てて口を押さえる素振りをする夢魔。
「いや、やめとこう。うん、とにかくお兄さんはもうすぐシン様の玉座の下へ招待されるんだからばっちキメといてよ。じゃないとシン様の御前で無礼になっちゃうからね」
「それは楽しみだな。ではこの龍王剣も念入りに磨き上げ、最高の終焉を貴公の王に進呈して差し上げねばな」
夢魔を見据え今にも交戦開始に踏み切ろうとする。
「その必要はないよ」
刹那、光が落ちた。
「ッッ!」
予想外の奇襲に対し反射的に後方へ飛びずさり、白光の視界が回復するまでの間攻性防禦結界「カラエラ」を発動。龍王の傍らに二対の古めかしい西洋の造りを思わせる小剣が出現しその周囲を浮遊する。
二秒、三秒。意外に敵は速攻してこなかった。ようやく暗順応してきた視界が目前に二つのシルエットを見つける。
「だってシン様には首から上だけで謁見してもらう予定だから。大丈夫!ちゃんと血糊は綺麗にふきあげて、キチンとメイクもし、さらには髪までセットしといてあげるから♪」
「悪趣味極まりないな」
言い捨てた龍王は、結界を解除。刃を静かに抜き放ち、一瞬の隙も許さぬ足取りで敵に近づいていく。
「それより貴様の隣にいるその新顔はどこかで見た覚えがある」
短くも長い沈黙。
「……そうだ、確か百二十年ほど前にこの国で密かに内戦勃発を画策し暗躍していた「死の演出家」の内の一人……名は……」
そこで言葉に詰まった。
新顔の男はこれ以上に無いほど心外といった目で最初の一言を発した。
「仙道……」
こけた頬が眼球のするどさを際立たせる。その男は言葉を投げ捨てるように発する。
「俺の名は仙道慶喜だ」
あぁ、と名を思い出した龍王は目前の所で歩みを止め、相手の殺陣の範囲を見極めていく。
「仙道慶喜、あの時は不覚にも取り逃がしたが……何故こんな所にいる?まさか貴様、相当老け込んでこんな子供のお守りでも趣味になったのか」
仙道は苦虫を噛み潰したかのような顔をした。
「ちょ、ちょっと。だれが子供だって、ぼくはもう十」
「お前には分かるまい、あの時の任務失敗から現在に至るこの苦痛の日々を」
仙道は次第に憎悪を剥き出しにしていく。
「あの時、お前が我らの邪魔をしていなければ生き残った同志は処刑されずに済んだ。お前さえいなければ我ら『死の演出家』はますます繁栄し確固たる地位をあの偉大なる帝国に築き上げることができたのだ。それをよくも無下に終らせてくれたな」
「その憎しみ、そして私に対する執念でここまで生きながらえてきた、ということか。その間にどれだけの尊き生命が失われた事か」
「黙ることだ偽善者。お前は我が同志達の死の責任を取り、今ここで万死に値する苦痛を味わなければならない。そして死してあの世へ行き再び同志達の手による拷問で苦痛を味わえ」
その手に暗い光が灯った。傍らではその圧倒的な気迫に目を限界まで見開き怯えている少年がいたが、そんなことなど無視し仙道という男は戦闘を開始した。



とみせかけた。



手に灯った暗い光を消し、すぐさま両手を上げる仙道。
怪訝な顔をする残りの二人。仙道は口の端を吊り上げ不敵に笑う。
「……なんてな。むざむざ俺は敵わない相手に無謀な闘いをしかけるような阿呆ではない。お前のような破壊神と一対一でやりあって勝てる勝算など皆無。全人類共通の敵は今すぐにでも抹消しておきたいところだが、今のところ単身渡り合えるのはあのレイド様ぐらいなもんだろう。俺はそこまで愚かじゃない……」
言いながら歩みを引いていく。
「それに昔から俺はそんな役どころじゃないんでな。」
一歩、二歩後ろへ下がりながらなお言葉をつなぐ。その彼の行動が理解できないといった顔をするトリテル。
「今日はただの挨拶ついでの顔見せだ。お前もすでに承知かとは思うが、我らが極は現在かつての勢いを取り戻しつつある。様々な要因、そうだな例えば……先週起きたダブルホーンタワー崩壊事件、あれのせいで特定国の国民感情は一気に膨張した。怒り、憎しみ、憎悪、嘆き、悲しみ。世界の傾向はより極へと近づき、そのアイデンティティを失う。そしてやがては我らが故郷と一体となり、またその一部となる。現在はその過程だ。そう、それゆえにここは自らの境を失いつつある。それにともなって」
「地界の制約も緩みつつある、か。」
龍王の熱のこもらない一言。
「確かにそうだな。ここの民がやみ色に染まれば染まるほど貴様たちの思うつぼ。それを防ぐのが我らの定めだったが、あの事件ではあまりに無力だった」
だが言葉とは裏腹に全身の皮膚からは溶岩のごとき殺意が噴出していた。
「まさかお前が?」
沈黙。留保。先ほどから会話に参加できないトリテルにはまるで二人が互いにカードゲームをしているかのように見えた。一枚一枚慎重に、事態を己に有利なよう進めるかのごとく。
「死の演出家とは確かそういう小細工を重ねていき、国家を揺るがす大事件を起こすのが大の得意だったな」
龍王の牽制。
「くだらんしつまらん。だがしかし決して野放しにはできないという所が貴様たち死の演出家の長所でもあり特徴だったな。その最後の一人まで残さず潰しておかなければ殲滅したとは言い切れない。まさに一家に巣食う羽蟻だ」
仙道の表情には何も浮かばず淡々と外界への通路を開く。
「挑発には乗らん。言っただろう、今日は顔見せだと。そのうちまた合間見えることになるだろうからその時までにせいぜい身辺整理でもやっておけ」
急速な踏み込み、右下段に構えなおす刀身、龍王の瞬速必誅の斬撃がトリテルの胴体を横断し、その慣性に従い前面の仙道に刃を翻す。しかしすでに非現実化していた仙道本体は斬ることなく、主人に遅れた衣服の少しを裂くに留まった。
一拍の間。振り抜かれた刃。起きる剣風。なびく草々。自らに起こった現実を理解できず立ちつくす少年は瞳に疑問の光を灯したまま不自然に血を噴出して倒れた。
龍王は刃に纏わりつく血糊を飛ばし地面に落ちている少年に語りかけた。
「……貴様は私と会うべきではなかった。私と出会った時点ですでに貴様の運命は決定的となった。その非凡でありながら凡庸な能力は、最初こそ私を騙せども手の内を知られた段階でもはや意味を成し得なかった。そしてさらに根本たる要因は」
そこまで喉を開いた龍王は、瞼を伏せ何かを振り払うように頭を揺らしそして優の下へと去っていった。

※※※

「もう、終った、で」
優は生きていた。しかし傍らの男は半々で死んでいた。龍王はため息を吐きながらカタワレの肩を叩き一言言おうとしたがそのカタワレは現在音信不通の事実を思い出しまたため息を吐いた。
(よくその状態で二人も相手できたな。私はてっきり相手は一人かと思っていたが)
疲れからか反抗する気配のない優。
(夢に出てきた、ハンディアックス男がもう一人の方。脅威の度合いは低ぐらいか。主人の命令には従う自律行動型やったわ)
龍王は、そうか、と声をかけた後、残りの力で優の両耳の損傷を取り消していく。
「どうだ、聞こえるか?」
優は耳を揉み調子を探っていた。しばらくしてオーケーのサインを出す。
「そうか、じゃあ帰るぞ。……その男はここに放置しておいても構わんだろう。すぐに軍が来て発見するだろうからな」
「それだけでこいつが訴追されると思う?俺たちはいっつも事実処理だけで法律の領域にまでは関与できない」
「当たり前だ。それこそが我らと国家との暗黙の協定だろうが。私人を無制限に制裁する権力まで手に入れてはそれこそ闇と変わらない。我らは我らの分をわきまえるのみ。それ以上でもそれ以下でもない」
今度は優がため息を吐き渋々といった表情で立ち上がる。月を仰ぎ見た彼はその研ぎ澄まされきった光に目を細め、次に地面に顔を向け歩き出した。
 それを見た龍王はなおも憮然とした表情で優の前に踏み出し、そして情けないそのカタワレと共に帰っていった。

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