シンとした空気を頬で感じ自分はまだ生きているという事を実感する。
(くそ、龍王のやつ無茶苦茶や。いやもうあそこまでいくと馬鹿の域だな)
段々近づく気配に最大限の注意をしつつ深い木々の道を駆けていく。
(本当に何考えてんねんあいつは。正気の沙汰やないで)
耳は相変わらず聞こえない。今日はとことんツイテナイ。

――場面は少し前に戻る――

(はぁ!?俺の力をここに留めて俺の代わりにするぅ!?)
(そうだ、そうすればしばらくの間は自衛隊についている能力者を誤魔化す事はできるだろう)
(お、お前馬鹿じゃない!?そんな事したら俺の力が使えんくなるやんか!さっき俺に敵を倒して来い言うたばかりやないか!どういう事やねん!?)
(だから素手……とは言わないがこれを使え)
(これって……龍短刀やん。確かに無いよりはマシやけど……でも)
(これ以上議論の余地なし。時間が無い、ほら早く行け)
(ちょ、ちょっ)

――場面は元に戻る――

(くっそーあいつ俺を追い立てるために殴りやがって……俺を殴るしか脳ないんかほんまに……)
そう呟きつつ俺は再度右手で後腰にくっつけてある刃物の柄を握った。こうすると少し安心する。敵は、近い。

その男は森の中にしてはやけに開けた空間に立っていた。月が明るい。
上下一式グレーのスーツ、だらしのない白のTシャツ、黒の革靴に茶色のパーマでそれは肩口まで達している。一見して夜の兄ちゃん。何やら自信たっぷりそうに落ち着き払っている。
俺は近くまで歩み寄った。そして一言言おうとしてある重大なミスに気付いた。音が聞こえないじゃん。
 兄ちゃんが何か言っているが聞こえない。多分闘う前の自己紹介とか前口上を言っているに違いない。こりゃあ早くもピンチだ。ここを聞き逃すのとそうでないのとでは大きな差が出てしまうのが常だ。でも今の俺にはこれをどうする事も出来ない。今日はとことんツイテナイ。
 仕方が無いから心話を試みる。ホスト兄ちゃんの方を見据え相手の心へ呼びかける。いやイメージ的には頭だから脳へ、かな。
 実際心話で他者とコミュニケーションを取るのは容易い事じゃない。何故なら現実にはありえない現象だから。その現実ではありえない現象をありえさせるという事は普通に矛盾している。それはともすればそこら辺の哲学者達が紡ぎだす単なる言葉遊びだと思われるだろう。でもしかし、その矛盾はこの世界に現実しか想定していないから起こってくる。現実以外の何かがあるから例えば能力者たる存在がこの世にいて、現実以外の何かがあるから例えば龍王やレイドのようなこの世の住人でない存在がいる。そして彼らは物質文明では考えられない超常現象を数々引き起こすのだ。そう、現実だけを見ていては本当の事を知った事にはならない。俺が思うにこれが真の意味での現実。だから心と心で話し合えたとしても全く不思議な事じゃない。
 俺は慎重に語りかける。思念と言う概念に言葉を乗せて。
 (聴こえるか、聴こえるか、聴こえるか、聴こえるか……)
反応があるまで呼びかける。……駄目だ聴こえていないようだ。まあそりゃそうか、普段からおおっぴらに心を開いている奴なんてそういない。しょうがないこうなったらいつもみたいに強制的に割り込むか。
 糸電話をイメージ。そして次に相手側にそれを渡すイメージ。ここまではさっきと一緒。違うのはここから。その紙コップの部分を無理やり相手の頭の中に埋め込むイメージ。昔は全然できなかったけど今ではもう簡単にできる。訓練のたまものたまもの。
(おい、聴こえるか。聴こえるなら心の中で返事しろ)
しばらくしてホストの兄ちゃんが顔を若干強ばらせた。しばしの沈黙の後、兄ちゃんの声が聴こえてきた。
(……おい、どういうつもりだ。何故わざわざ思念言語を使う。しかも割り込みやがって……。貴様はこの俺をなめているのか。ふざけるな、ちゃんと喋れ)
やっぱり……。大抵はこういう事をされるのを嫌う。自分の心を無理やり開かれた感じがするからというのが一番の理由なんだろう。俺も実はそうなんだけど。
 それでも耳が耳だからここで引き下がるわけにはいかない。それにあの兄ちゃんにこの耳の事知られると色々と面倒やろうし。
(お前が俺の声を認知して発動するトラップでも仕掛けられてたらたまらんからな。確信がもてるまでこれで話させてもらう。ついでに言うとお前もすでにそうなってるかも知れんけどな)
そう語り終えると暫しの沈黙の後、夜の男は俺を鼻で笑って、
(フン、ならしょうがないな。まあこの俺の前で声紋トラップを仕掛けたとしても大した物じゃないだろうが、かといって相手がお前だ。迂闊に気を抜く事はできないなぁ……。全く、シン様を脅かす存在だと聞いて心して来てみれば……とんだ腑抜け野郎が相手だなんてな。こりゃぁ案外早めにシャワーを浴びれるかもな)
男はそういって汚い笑みを浮かべる。俺は気を失いそうになって懸命に踏みとどまった。
そう、こいつも闇の五王の内の一人、シンの放った手先。今まで何度も迫り来た輩の類。俺達が闇と敵対している限りは狙われて当然な事は重々わかっている事だけど、それでも本当に勘弁なんですけど。
(ふん、何とでも言え。……てかお前、本当の狙いはシンの為じゃなく俺に賭けられてある賞金が目当てで来たんやろ)
男が口の端を吊り上げて肯定の意を示す。
(そっか……なら俺はいつもの通りこう言うしかないですね今すぐお縄についてブタ箱でしっかり自分を反省してくださいって)
そうたっぷり皮肉込めて言ってやった。すると男がさもウザったそうな態度で、
(ハイハイハイハイ、わかったからもうそろそろいいかな殺しても。正直な所自衛隊の攻撃で死んでもらう計画だったんだけど、ここまで来てしまったからにはちゃんとこの俺様の手で殺してやるよ)
と心の中でぼやいた。
(何様なんかは知らんけど、その自信たっぷりなお口にチャックしたるからな。ホストの兄ちゃん)
相手の名前がまだわからないからとりあえずこう呼ぶ事にした。でもそれはすぐにしなくて済んだ。
(誰がホストだぁ?俺様の名は馬宮泰三だ。覚えとけ)
相手が名乗ってくれたからだ。
 



bへ/dへ/戻る