間宮泰三はそう名乗った後、ゆっくりと俺の左手へと動き出した。俺もそれに応じて右へ体を動かす。
 徐々に間合いを詰めて相手の動きに細心の注意を払う。この男の能力が未知数な分用心するに越した事はない。高鳴る鼓動。でもそれ以上に怒りが脳を支配する。人の命を何とも思わない闇の者達。こいつも同じ匂いがする。俺の使命は闇を払う事。イコールこいつも許せない。
(あの女の人を殺したのもお前か)
(女?ああ、あれの事か。そうさこの俺がヤッてやったんだよ。良かったぜぇ……あの)
(黙れ!)
思わず挑発に乗ってしまった。右手から繰り出す相手の顔だけをめがけたパンチ。ハズレ。途端に馬宮のペースに引きずり込まれてしまった。
馬宮は力こそ無いもののスピードと正確な攻撃で俺を圧倒する。俺も負けじと隙を伺うが一旦崩れた自分の調子を元に戻せない。くそ、ただの伊達男ってわけじゃなさそうだ。
何度か打撃を喰らった後俺は急速後退。体勢を立て直そうとした。その直後、背筋を鋭い悪寒が走った。本能に従って体勢の立て直しをすぐさまキャンセル。ありったけの力を軸足に込めて右斜め前方へと前転しながら回避する。その左脇を黒い影が一瞬横切った。
(くっ!これは!?)
前転の終わり際、腰を捻って馬宮が視界に入る体勢を取る。少し驚きながら急に襲ってきたそれを見つける。馬宮の微笑。
(フン、よくかわしたな東城優。この俺様の相棒の一撃をかわしたのはお前が初めてだ。ま、もっとも、今まで倒してきた奴は全員カスだったけどな)
俺はそんな馬宮の自慢などよりはるかに衝撃的な事に目を見開いた。さっき背後から俺を襲ったのはなんとあの最初に出くわしたハンディアックス男だったのだ。こんな所で再開できるとは夢にも思っていなかったよハンディ……。
 俺は鋭い眼差しを二人に送る。
(その男は確か俺が倒したはずやねんけどな)
徐々にあの時の記憶が蘇る。
馬宮は男に向かって見つめ合っている。心話でもしているのだろうか。数秒の後、馬宮から話しかけてきた。
(倒したはず?それは何をもって倒したと言ってるんだ?肉体の消滅か?魂の消滅か?お前は何を根拠に俺の相棒を倒したと言ってるんだ?あぁ?優ちゃんよぉ)
ちっ、そういやあの時俺は過去読みするために瀕死まで追いやって拘束しただけでトドメまでは刺してなかった。いや刺すつもりやったんやけど途中でレイドが……。
――俺の脳裏にふと疑問点が浮かび上がる。
そう言えば俺は一体何処から気を失ってたんやろ?「ゆりかご」で体力を回復していた時?……いや、今の状況を考えたらそれはまず無いな。龍王の口ぶりからしてもレイドと闘った所は全部夢か幻かだろう。実際異属性の合成が上級技なのは今でも変わらない事だけどそれを使いこなせるのがごくわずかな者だけとされていたのはもうだいぶ前の話だ。しかも変化も今では体に馴染んできてそうそう堪える事も無くなった。一日に四、五回ぐらいは変化できるようにもなったし。とすればアレは小さい頃の知識と今とがごっちゃになった夢だったのかもしれない。……いやでもあのハンディには確かに見覚えがある……。なぜだ?

(何を黙りこくっているのかな?優ちゃん?もしかしてもしかしてとうとう本格的に怖気づいちゃった?)
馬宮の態度が段々変ってくる。どうやらこっちの方が本性に近いらしいな。ああ、何で俺はいつもステキに性格破綻した奴に狙われるんだろう。……まあこいつはまだ幾分かマシなナルシストタイプやからいいけど。で、これは逆に言うとチャンスでもある。そう、こういう相手は自分の優越感から多くの隙を作り出しやすい。だからあのハンディを何とかすればこいつを抑える事ができるかもしれない。
 できるだけ悔しそうな表情を作って相手の油断を誘う。そのせいか今も馬宮はおどけた態度とで俺を挑発している。あまりにそれが嬉しいのかとうとう心話じゃなく普通に口で話し出した。聞こえねぇっつの。ついでに嘘見破られたっつうの。
 くそ、ともかく問題はあのハンディだ。奴は今も依然として棒立ち状態だ。それにその仏頂面が正直厄介だ。あいつの実力がどうもわからない。能力者なのか、属性使いなのか、それとも龍王のような異世界の存在なのか。異世界の存在だとしたらなおさら厄介だな。どれくらいこの世界に影響力を有しているかにもよるけど、単に異世界の存在と言うだけで馬宮側の戦力はもはや人類では手に負えないぐらいのものになる。それに比べて今の俺は龍王はおろか龍王の力すらおぼつかないって状態。もし本当に異世界人だったら本気で泣けるんですけど。
そう思うと次第に心が震えだした。慌ててその可能性を押し込め今一度冷静を取り繕う。
そう、ただ一つ言えるのは奴は催眠のような奇妙な攻撃をしてこれるって事か。いつその術中にハマったのかはわからないけど、少なくとも夢だと判断できるあの合成技……えーと技はなんだったっけな、記憶がはるか霞の如く消えてるから思い出せない……とにかくそれを喰らった時にはすでに意識を失っていたはずだ。……とすると奴と出会った時?
 ふと気がつくと馬宮の態度が一変していた。ひとしきり挑発し終えたのかその目つきが一段と鋭くなった。さて、そろそろ第二幕の開演か。手に握る汗を通して改めて暗い森の冷気を感じる。
 俺は展開していた思考を一旦中断。後腰に差していた龍短刀の柄を握りつつ相手の出方を伺う。龍短刀から伝わる力が脳の中で満たされていく。
 馬宮はハンディと共にこちらへ向かってきた。まあ普通ならそこから二手に分かれて挟み撃ちするってのがセオリーだろう。だからこちら側としては攻性の防御魔法で背後をカバーする。
「……Ein heftig Regen wird kleinen Speer……」
二人から距離を保つため右側へ移動しつつ小声で導入句を諳んじる。するとその導入句によって数多の定型魔法からただ一つ導き寄せられたドイツ語圏で使用される魔法「騎士の涙」を即座に龍王の力の中に浸し色々と復元させていく。ここまで約二秒。その間にも二人は間合いをどんどん詰めてくる。対してこちらはまだ魔法の復元に手間取っている。この手の魔法の難点として展開までに多少時間がかかるため容易に攻撃されやすい。しかもそれまでに邪魔が入るとたちまちその魔法は露と消え失せてしまうから厄介だ。……まあ、それに見合うだけの効力は有しているから本来は二人以上の時にしかもなお且つ誰かに守られながら使用しなきゃいけないんだけど、でもこの場合はそんな事言ってられないのが現状。本格的な龍王の力が得られない今、俺の使える攻性防御魔法で一番早く且つ比較的強度の高いのはこいつしかない。やると決めたらやるしかない。
といっても魔法の復元と平行して何かを行うのはあまり好ましくない事だ。まあ勉強中にテレビを観たりする「ながら勉強」とほぼ一緒のことで、複数の事に集中力を割くのは全体の作業効率を下げる。それが例え「走る」という行為であったとしても。
 敵は思ったとおり二手に分かれた。そして逃げる俺の行く手を絶っていく。今の相対的な位置関係は若干ハンディが俺の方にいて馬宮が後方から迫ってくる。やむなく草むらを背に二人を視野に入れる。……段々発動が間に合うかどうか微妙になってきたな。
挟撃の陣形をとろうとする馬宮達を何とか視界に入れつつ「騎士の涙」の展開・発動を急がす。あと少し……あと少
 
あぶない、避けて

 え?と思う暇なく反射的に体が右方向へ移動。直後ビュンと何かが頬を掠める。移動する視界には投擲を終えたフォームで映るハンディの姿。後ろを振り返るとなんとまあ立派な斧が木に突き刺さっているじゃあーりませんか。自分の事に必死こきすぎてて敵の事まで気が回っていない。落ち着け、落ち着け俺。
「…………、……!」
ミスるなハンディ!ちゃんと狙え!!馬宮がまた何か吠えてるけど多分こう言ってるんじゃないかな。
 と無理やり余裕を繕った矢先に嬉しい手ごたえを感じた。ようやく復元が完了したからだ。俺は早速できあがった攻性の防御魔法「騎士の涙」を即座に発動。俺の周囲三メートルに愛すべき者を守れなかった王国の騎士達の涙が流れ出す。最初はぽつぽつと、次第にざあざあとその激しさを増し地面に無数の点を穿つ。それは悪に対する無念の涙でもあり、闇に対する怒りの涙でもある。そして、これ以上何も失わせないという決意の涙でもある。
「…………!!」
馬宮が何か叫んだ。ハンディに向けてだろう。でもそれは時すでに遅し。逃げながらも常にハンディを間合いに入れられるだけの接近はしていたから、発動と同時に俺からあえてハンディに詰め寄り騎士達の槍へと誘った。その結果ハンディの体には幾多の点ができ、俺と睨めっこできる位近づいた時にはすでに地に伏していた。
(てめぇ!!よくも!)
馬宮が吠える。同時に火柱が二つ三つその周囲にでき、次いで炎が周囲の草々を舐めながら扇状に急速に広がっていく。厄介な事にこの森一帯を火の海にするつもりだ。水には火。異属性の相殺原理は属性使いにとっては基本中の基本だ。要するにあいつは強力な火で俺の防御魔法を崩そうって事だ。そうする事で俺の魔法を打ち消し、都合のいいように追い詰めようって魂胆だろう。それは非常に困るのでまだ燃えていない地点に急いで移動。結果としては馬宮とやや離れた位置に来てしまったが火の手がない分だいぶマシだ。
 続いて俺は馬宮の動かずを見て龍短刀を引き抜き今度は一気に相手に詰め寄る。敵が一人になった今、早めにケリをつけて損は無い。右手にさらなる力を込め相手の急所だけを目標に入れる。もちろん初級風技疾風の後押しも忘れずにつけての上だ。
 急速に突き進む中馬宮を見据える。奴は動かない。疾走のブレからくる視界の制限を最小限に抑えつつ敵がとりうるあらゆるパターンを考慮する。まだ動かない。
「騎士の涙」を展開し且つ疾風迅雷の如き速さをもって一撃を加えんとする今の俺に隙は無い。いや厳密に言うとあるけどそれは今の所たいしたもんじゃない。それに敵は今や一人。誰もバックアップしてくれない中でこの攻撃を防ぐのは正直言って無理だ。……でもだからといって最後まで気を抜く事は許されない。常にこの世の中は一寸先は闇だからだ。
 そう思った矢先、さっそくその諺が当たってしまった。異様に張り詰める空気。さっき燃え上がったばかりの炎が急に消えていく光景ははっきり言って異常。それでも構わず最後の踏み込みを行おうと左足に力を入れようとした瞬間――

何かにその足を掴まれた感触がした。

 驚く間も無く前のめりに転倒した俺は胸や顔面を強打。一瞬記憶が飛ぶ。それでも何とか事態を把握するため鼻から伝う液体そっちのけで起き上がろうとするとまた左足に強い締め付けを感じた。
――見ると黒い大きな手が少し離れた地点から俺の足を掴んで離さないでいた。
(これ……は)
言い知れぬ恐怖に言葉を失う。そこでようやく気が付いた。馬宮の方へ顔を向ける。
 思ったとおり馬宮は何かを詠唱していた。俺の視線を十分に受けた後、奴は下衆な笑みを浮かべてわざわざ俺の頭の中に割り込んできやがった。
(ウグレレ、キトセ、ガニグワ、ジョトセ、セイ、セヤ、ガカハハ、コンマケルッタ、ウグレレ、キトセ、ガニグワ、ジョトセ、セイ、セヤ、ガカハハ、コンマケルッタ、ウグレレ、キトセ、ガニグワ、ジョトセ、セイ、セヤ、ガカハハ、コンマケルッタ……)
これは……何だ?この詠唱文は多分……何かをこの世に召還する為のものだと思う。考えたくは無いけどこの俺の左足を掴んで離さないのがその対象。だとすると非常にヤバイ。
「離せ!こいつ、くそ!!」
渾身の力を込めて龍短刀を黒い手に突き刺す。でも何の反応も無い。それどころかますます強く足を握り締めてくる。
「くそ、馬宮っ…………はめやがったな」
馬宮はすごく落ち着いている。そう、すでに己の勝ちを信じて疑わないといった様に。その態度をみた瞬間、氷が脊髄を滑っていく感触がした。そして一気に全身の汗腺が開く。
(ケルッタ、ジョトセ、ガニハハ、ジョトセ)
やめてくれ……俺はまだ……
(ケージャ、ケージャ)
死にたくない。
(ルウシュドゼナハ)
闇に引きずり込まれていく中で、最後の一文を言い切った馬宮の顔が最後まで俺の目に焼きついて離れなかった。



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